毎日の心苦しさ
こんにちは。初めて相談をさせていただきます。
私は自分の人間性に嫌悪感を感じており、この先の人生を送っていくことに強い絶望と疲労を感じています。
歳を重ねる毎に年々、その想いが強くなっていく気がします。
流されやすく、いい加減で無責任、こんな歳なのに精神的にとても未熟だと感じます。
独身なのですが、仕事も長く続けることが出来ず、不安定な生活を送っています。
元々内向的な性格で、幼少の頃から人と接することに強い緊張を感じるタイプでした。
仲の良い友人などは居ますが、会社など社交的な場が苦手で、20代で不安症を発症し、現在も治療を受けています。
これまでも身体に症状が出て悪化する度に、せっかく就職した会社を辞めての繰り返し。
その都度自分はダメな人間だと思い悩み、情けないという気持ちで尚更自分への嫌悪感が募っていきました。
現在は、知人の社長が経営する会社でリモート勤務をさせていただいているのですが、実はこの仕事も、仕事に困っていた私が社長と体の関係を持ってしまったことをきっかけに、社長が私に対して温情を向けてくれるようになり、社員として仕事の場を用意してくれました。
けれど、そもそも増員が必要な職場でもなかったため、仕事の量もなかなか増えず、会社にあまり貢献出来ていません。
自分の弱さとだらし無さから最低なことをして会社に入ったという事実と、会社の役に立てていないという罪悪感で心が重くなる毎日です。
この苦しさから逃れるために、退職をしたいとまで考えるようになりました。
けれどそれも無責任な事だろうか、せっかくここまでしてくれた社長に対して不義理だろうかと…答えを出せずにいます。
ここまで書いて、自分が本当にどうしようもない人間だと改めて実感します。
とりとめの無い文章で長文となりましたが、どなたかの目に止まっていただけたら嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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不安症が何を教えてくれているのかな
ゆきんこ 様
あなたが不安症でとてもつらい状態であるのは、あなたのせいではないと思います。
あなたが不安症の原因は分かりませんが、不安症で起こす行動に、自分を責めたり、自分がだらしないと、自分を嫌悪しても、一時しのぎにはなったかもしれませんが、これまで苦しさから逃れられていないのです。過度に自分を責めても効果がないのだと思います。
人は心の温かさとか優しさを感じた時、さらに自分に思いやりを向けて、自分を責めずに、自分を寛容に見て、自分に思いやりを持つという強い気持ちになったとき、前に向く力が湧いてくるし、勇気をもって社会でいろいろ取り組むことができると思います。
私は、あなたがどうしようもない人間とは思いません。不安症と闘いながら一生懸命生きている人と思います。
不安でふらふら優柔不断な時もあるでしょう。でもそれはあなたが望んだ行動ではなく不安症が起こしたあなたの本心ではない状態です。ですのでふらふらしてる自分を責めても不安症は治まらないと思います。不安症はあなたの弱い部分を見せるあなたの一部にしかすぎないので、その不安症を責めずに不安症は何を教えてくれているのかな?と自分を観察するように見て、不安症をなだめるように寛容に自分を扱い、温かさと優しさで自分を包んでみるのが良い方法だと私は思います。
もし温かさ優しさを受け取れないとか、自分に思いやりを向けたり、優しさで自分を包むのが難しいとかが思うようでしたら、お手伝いさせていただきます。
参考にしてください。
一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。温かさを自分に向けるとき、その不安はまだ起こっていない未来を意識したり、過ぎた出来事に意識を持っていかれたりしていると思います。今ここ、その瞬間は、不安のことはないのです。今ここに意識を向けて、評価しない善悪の判断をしない、マインドフルネス瞑想や今ここの呼吸に意識を向ける呼吸法が心を落ち着かせて、不安から離れた状態になることが出来るでしょう。心に留めて実践してみてください。焦らなくても大丈夫です。またどうぞ遠慮なくご相談ください。再礼
質問者からのお礼
温かいお言葉をかけていただき、本当にありがとうございます。
不安症の難しいところは、不安に思う思考が症状から来るものなのか、自分の本来の性格によるものなのか混同して判断が付きづらいところで、私自身、不安症から来る不安や恐れなどの強い感情に振り回され、それが良くない行動に結びついてきた節が多々あります。
けれど重症の方と比べたら私はまだ軽度な方だと思うのです。
だから、本当はただ自分に甘い自己中心的な性格なだけで、ちょっと辛い思いをすると病気を盾にして逃げ場を作ろうとしているのではないか…と考えて苦しくなる時もあります。
けれど、おっしゃっていただいたように、自分を責める気持ちからは、生きる勇気も湧かず、何も生まれてこないというのが正にこれまでもそうだったとハッとしました。
不安症は私にとって憎いものとしか思っていませんでしたが、それが私に何を教えようとしてくれているのか、また、不安症はあくまで私の一部分であって全てではないことを見直して、あたたかい気持ちを向けてみたいと思います。
時間を割いていただき、ありがとうございました。