わざわざ不快な思いをしたくなるのなぜ回答受付中
こんにちは。質問を見てくださりありがとうございます。
私には変な癖があります。それはわざわざ自分から不愉快になるものを見てしまう癖です。例えばあまり好きではないもののことをわざわざ見て批判したり、それについてTwitterで批判してしまうことがあります。友達と話しているときにも、わざわざ自分から嫌いなものの話題を出して批判してしまいます。嫌いなら無視すればいいのに、好きではないものを見て批判したくなります。そんなことしないで好きなものを見てたほうがいいのに、なぜか嫌いなものを否定してしまいます。また、Twitterに投稿しなくてもふとしたときに頭のなかで嫌いなものを批判してしまいます。
なぜこんなことをしてしまうのか自分でも謎です。Twitterを見ていると私のように嫌いなものについて呟いている人はいるみたいです。なぜ人はわざわざ自分の嫌いなものや興味のないものについて呟いたりしてしまうのでしょうか。好きなものだけを見ていればいいのに、自分から進んで嫌いなものを見てしまうのはなぜでしょうか。
お坊さんからの回答 2件
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強い理想と正義感。ストレスもあるかも?
嫌いなことが気になってTwitterで
批判してしまうという悩み、お気持ちをお察しします。
この行動は交流分析における批判的な親(Critical Parent)の自我状態と深く関連している可能性が高いです。私たちの心の中には、過去の重要な人物の言動や感情が内面化された3つの自我状態が存在すると考えます。
① 批判的な親(CP)
ルールや常識、道徳観などを持ち、それに基づいて他者や自分自身を評価・判断し批判したり責めたりする側面「〜すべきだ」「〜してはいけない」といった言葉遣いが特徴的。強い義務感や責任感を持つ一方で厳しさや支配性、否定的思考につながることもあります。富士さんのTwitterでの批判的な言動は、このCPの自我状態が強く働いていると考えられます。嫌いなものに対して「間違っている」といった感情が湧き上がり、それを表現せずにはいられない衝動に駆られるのかもしれません。
②養育的な親(NP)
相手を思いやり、世話を焼いたり励ましたり保護したりする側面
③大人( Adult)
感情的にならず、客観的な事実に基づいて論理的に考え行動する
自我状態
他には
④自由な子供( Free Child)
⑤適応した子供( Adapted Child)
なぜ嫌いなことに反応してしまうのか?
✔正義感や理想の高さ
「こうあるべきだ」という強い理想があるかも?
✔不満やストレスの発散
無意識に不満やストレスを、Twitterでの批判という形で発散しようとしている
〜Twitterでの批判を少なくするには
この行動を少なくするには、富士さんの心の状態を理解し、意識的に行動を変えていく必要があります。
✔自分の感情に気づく
批判的な気持ちが湧き上がってきたときに「今、自分は批判的な親のモードに入っているな」と気づく練習をする
✔ストレス解消の方法として、Twitter以外で好きなことや集中できることに時間を使うように意識する
✔Adult 大人の自我状態を意識する
「本当にそうだろうか?」
「他に考えられることはないか?」と客観的に考えるように心がける
✔ 養育的な親の側面を意識する
他者への批判的な気持ちを、理解や共感の気持ちに置き換える練習をしてみる
探求心の強い富士さんなら、なりたい自分になれると思います。応援しています。
危険なものを確認して安心したい本能かも
原始時代の生活を想像してみると、私達には、危険そうなものを本当に危険かどうか確認したくなる本能があるのかもしれません。
また、不味そうな食べ物を本当に不味いかどうかも確かめたくなる場合がありますね。
また、危険なものを危険だと、不味いものを不味いと、他人にも情報を伝えたくなる場合がありますね。
また、皆が素晴らしいと言っているものよりももっと優れたものを自分が知っているときも、それを他人にも教えたくなる場合がありますね。
ということで、嫌いなものを無視できずに気になってしまう感覚は、人間の本能的なものなのかもしれませんね。
そのようなチャレンジの積み重ねで、人類は知識を増やしてきたのではないでしょうか。
質問者からのお礼
覆面僧侶・きみー様
ご回答ありがとうございます。
客観的に分析していただき腑に落ちました。こうするべき!みたいな考えは元から強かったように思えます。自分の中にそのような側面があったことに気づけました。これからは、そういった批判したい欲が出てきたら「批判的な親が出てきたな」と思って冷静になれるよう意識します。
願誉浄史様
ご回答ありがとうございます。確かに人間の本能的な側面があるのかもしれませんね。またそのような批判したい欲望が出てきた時には、自分の本能なんだと思い冷静になってみます。