家庭内暴力の質問を見て
ご覧頂きありがとうございます。
この質問は私の未熟さゆえに御坊さんのご気分を害される可能性のある内容となっています。
決して悪意のもとの質問ではなく、ただ正直に記させて頂きました。
こちらで「結婚相手から暴力を受けている、家庭内暴力がある」といった質問を(悲しいことですが)よく見ます。
そこで「旦那さんのありがたみを理解する、共に過ごすことは幸せだと理解する、良い面を見る」といった趣旨のご回答を拝見することがあります。
ここで、ストックホルム症候群、加害者に被害者が情を抱くという心理現象を持ち出させて頂きます。
これは「人間同士に生じた真の情けに無理矢理医学的な名前をつけた」のではなく、立派なマインドコントロールです。
レイプの常習犯が被害女性の体を拭いたり、服を着せるなど「意図的に」優しくすることで、被害女性をストックホルムに陥らせ、通報されないように仕向けるという手法が使われています。
加害者がたまに弱い面や優しさを見せることで被害者が「これがこの人の本当の姿なのでは?」と錯覚するしくみです。
これが家庭内で起きた場合を家庭内ストックホルム症候群といいます。
「旦那さんの良いところを見る」
つまり、暴力をふるうパートナーのかすかな良い面に目を向けるというのは、このストックホルム症候群に自ら進んで陥ることではないかと思うのです。
この状態に陥ると「本当は優しい人なんだ。怒らせてしまった自分が悪いんだ…」という思考にはまるので、悪化しても逃げるという手段が思い浮かぶことすらないという非常に危険な状態になってしまいます。
これは精神の弱さが原因ではなく、抗える(好意を抱かない)人の方が少ないそうです。
長々とすみませんでしたが、暴力をふるうパートナーに対して「こんなにいい人と一緒になれて私は幸せだ」と思うというのは、本当に「明らかにして見て」いるのでしょうか。本当に明らかにして見たならば、その人から離れるものだと思うのです。暴力という欠点を覆うほどの美点を、この世の人間が持ち合わせているとは思えません。幻想にすがりつくことと違いがあるのでしょうか。
結婚の経験がないうえに、私の考えは浅く、先入観に溢れており、また邪見が除ききれていないことを自分でも理解しているのですが、どうしてもお考えの真意が汲み取れません。
もしよろしければ、未熟な私にご教授下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
諦める
諦めるというのは、「もうええわ」という感じでGive upするわけではありません。本来仏教用語で、物事の道理を明かにするということです。ごまかさずにはっきりとするということです。
この場合ストックホルムという霧の中のぼやけた状態ではありません。はっきりしてます。霧が晴れ、仏様の放つ光で全てが詳らかにされている状態です。「除暗遍明」という言葉があります。よく灯籠とかに刻銘されている言葉です。これは、仏様のパワーの働きです。例えば、私の信仰する密教では、教主が大日如来様です。大日如来様の放つ光は至る所に遍満し、影も作らず全てを光で覆い尽くします。我々が灯明をお供えするのは、仏様のお説きになれる法が光のように広がることを願うという意味があるのです。
話を元にもどします。諦める。明らかにするには仏教の基本用語である「四諦」という言葉を参考にするといいでしょう。家庭内暴力の原因は誰が暴力をするか。その暴力を起こす原因は何か。そこから生じる苦は恐らく怨憎会苦だと思います。その苦を消すにはどうしたらいいかと考えて物事を明らかにして行き、法(仏法)に基づいた答えを導き出すのです。
このプロセスにはストックホルムは関係ありません。すっきりとした答えがでるはずです。後はそれを平和的方法によって実行することです。勇気がいるかもしれません。先日見たTVで田中角栄元総理のこんなことばがありました。人間は寝たら死んでいるのと一緒だと。人は死んで、行き帰り、行動し、死ぬ。これを知ったとき怖いものが無くなったと言われております。つまり、我々が一番恐れている死を、なにもしない状態に置き換え、生きているなら何かをするべきであるという肯定的発想法に置き換えた、人生を十二分に生きる方法論だと思います。
是非、諦めて考えてみてください。
質問者からのお礼
卓阿 様
お早いご回答をありがとうございます。
ストックホルムは恐怖と苦しみ、同情と好意など激しいジレンマ的な、相反する感情にがんじがらめにされていて、言い方が良くないですが「思考停止の状態」となっている。それに対し「諦める」というのは思考をもって具体的に原因と解決の糸口を見いだす、ということなのですね。
なるほど…目が覚めたような気持ちです。
つまり、解決方法を見つけ、決断した結果「お別れする」という選択になることもある、ということでしょうか。(お釈迦さまのいらっしゃった時代は、今のように離婚や女性の逃げ場がなかったけれども、今はできるので、この選択ももちろんありということでしょうか)
ご回答頂くまで、まさか被害者側にただ暴力をふるわれてもにこにこしていろということなのか!?と理解の及ばなさに苦しんでいたので、真意を教えて頂きとても助かりました。
やはり御坊さんのお考えはとても素晴らしく、お教え頂くたびに自分の未熟さを痛感いたします。
お近づきになれるよう、精一杯精進します。
ご回答ありがとうございました!