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死んだあとは

回答数回答 2
有り難し有り難し 1

自殺を選んだ人は、死んだ後もずっと辛い苦しみが続くと言われていますが、本当でしょうか。誰もが天国に行くことはできないのでしょうか。
自殺を選んだ人は、天国に行けるのでしょうか。

2024年4月28日 21:50

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

救いはある

ご質問拝見させて頂きました。真宗の教えをもとに回答させて頂きますと、阿弥陀如来という仏様がいらっしゃいますが、この仏様、元々は法蔵菩薩という名で修行されていました。阿弥陀如来という仏になるために四十八願という願い、誓いをされます。その中に、全ての人を救わなければ私は仏にならないと願われるのです。結果、この願いは達成、成就されて阿弥陀如来になられます。簡単に略しましたが、全ての人を取捨選択一切しないで救うという願いが達成されているので阿弥陀如来になられたのです。つまりもう私たちは救われることが確定している身なのです。そこから見ますと、自殺で亡くなっても、変わらず浄土へ道は開かれていることがお分かりになるかと思います。  合掌

2024年4月29日 7:07
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有り難し
おきもち

真宗大谷派の僧侶です。2024年4月25日にこちらに登録させて頂きました。...
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仏様神様がお救いなさって下さいます

拝読させて頂きました。
あなたの疑問を読ませて頂きました。あなたが自死や自殺なさった方々がその後も苦しむが続くのではないかと思っておられるのですね。あなたのその思いや不安を受け止めさせて頂きます。

自死や自殺なさった方々も他の死と同様に必ず仏様や神様がお導きなさって下さいます。先に往かれた親しい方々やご先祖様がお亡くなりになられた方々を温かくお迎えなさって下さいます。
そしてご先祖様方と再会なさり喜び合い、仏様や神様のもとで一切の悩みや苦しみや痛みや迷いからも救われていきます。ご先祖様と一緒に何の憂いもなく清らかに円満にご成仏なさっていくことができるのです。
そして生きるご縁ある方々を心穏やかに安らかにお見守りなさって下さいます。
仏様や神様は私達を平等にお救いなさって下さいます。どの様な死も平等に受け入れて下さりお導きなさって下さいます。
それぞれの人生はとても尊くかけがえのないものです。そして必ず誰もが平等に亡くなるのです。様々な巡り合わせや理由により与えられた命を全うしていくのです。
あなたがこれからの未来を与えられた命をしっかりと生き抜いていかれます様に、沢山の方々とのご縁に恵まれて健やかに充実なさって生き抜いていかれます様に心から仏様や神様やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌

2024年4月28日 23:45
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ありがとうございます

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

2025年7月5日4時18分

荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ