愚痴ばっか
他人が、特に女性やオバサンが怖いと感じます。
カフェなどに行くと大抵愚痴が聞こえてきます。
みんな、自分たちのことをマトモだと思っていて、すぐに気に入らないことやおかしいと思うことがあったら叩きだす。
みんなそういう傾向があるんでしょうかね?
自分と中のいい人達だけを大事にしてあとは叩くみたいな。
私は、気が弱いので、本当に明るい人や優しい人が好きです。
自分をマトモだと思って愚痴ばかりの人は嫌いです。
女性同士のコミュニティとかも怖くて。
人ってそういうところがあるんでしょうか?
ビビらなくてもいいですか?
堂々と生きたいです。教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ムラを守るため、人類みな警備員。
昔は男性は狩猟に出かけ、女性がムラで家族を守っていたでしょう。
その場合に重要なのはマイナス(ネガティブ)な情報を仲間と共有することです。
今までの日常と少しでも違う出来事や異質な行動をする人は、ムラを守るにあたってリスクになるかも知れませんから、ご近所さんと情報共有するわけです。
ということで、私達には警備員の素質があり、ちょっとした変化(ネガティブな情報)を「業務報告」する癖があるのです。
鳥でさえ、天敵が近付いたら鳴き声で仲間に警告しますから、人間がピーチクパーチクと警報を鳴らすのは仕方ないのです。
相手と親しくなって「あの人は怪しい人ではない」と理解してもらう(コネをつくる)のが理想ですが、昨今はそのようなコネを利権だとか言って叩きたがる人も多いです。
仏教的には、怒りはストレスの原因になると説きます。
他人の愚痴にいちいちムカついているとストレスになるので、人類みな警備員だから仕方ない、鳥の鳴き声だ、と思って気にしない方が幸せに暮らせますね。
ご質問拝見させて頂きました。
そうですね。私は喫茶店に行くとよくご主人の悪口、病気の話、お寺さんの悪口、お金の話をされているのを嫌でも聞こえてきます。いつも耳をふさぎたくなることも多々ありますので、よくわかります。ただこの件は女性に限った話ではないです。人は情報共有が基本的には大好きです。共感してもらえる仲間がいるというだけで興奮して声が大きくなります。変な話、そういうものだと思います。冷静な目で、第三者的にはそれが恥ずかしい行為であると感じるのもまた事実です。つまり人それぞれということでしょう。真宗でも聞法(もんぽう)の場、会、座談会などがございますが、多くの人が集まり会話するというのは声が大きくなる場であるな、と思っています。自分は自分、人は人という考え方で基本はよいと思います。その中で学びがあるならそれをいかされることが大切だと私は思います。ですから、恋愛さんが思われるように怖いと思うのも勉強だと思います。ご自分の教訓にされることが大切なのだと思いますよ。 合掌
このまま堂々と生きていってください!
恋愛さん
お悩み拝見させていただきました。
「カフェなどに行くと大抵愚痴が聞こえてきます。」
の一言、本当にそうですよね。深く共感します。(笑)
皆さんどうしてそうも、愚痴ばかり言っているのだろう?と毎回不思議に思うものです。
まぁ、それだけ生きづらい世の中で、それを誰かと共感することで今日も自分の身を守っているのだと思います。悲しいことですけどね。
その事に疑問を持つ恋愛さん。とても素晴らしいと思いますよ!
それを反面教師として「自分は愚痴を言わない生き方をする」と思われたら良いのではないかと思います。
私は愚痴を言う人とは友達になりません。(笑)
愚痴が聞こえてくると基本的にはその話には乗りませんし、共感もしません。
ましてや自分も愚痴に乗っかって話を大きくしたりもしません。
「言霊」と言う言葉がありますが、言った言葉はそのまま自分に返ってくると思うので、なるべく良い言葉を使うようにも心がけています。
おかげで、私の周りには愚痴を言う人はほとんどいません。
何か問題が起きた時も、「どうしてこうなってしまったんだ。」「あいつが悪いんだ。」なんて言う人はおらず、
「どうしたら解決できるかな?」「この出来事から気づくべきことは何かな?」など、皆さん前むきな言葉を使っておられます。
そう言う人たちも世の中には沢山いると言うことです。
恐ることはありません。このまま堂々と生きていってください!
恋愛さんの心が少しでも軽くなり温かい光に包まれるようお祈りしております。
南無阿弥陀仏。合掌。
質問者からのお礼
お二人共ありがとうございます。なるほど面白いですね。