なぜ大学に行くのか
最近、自分は何がしたいのか、将来どんなふうになりたいのか、分からなくなってきました。
先の目標がみつからないので、勉強がとても苦になってます。私が通う高校は進学校なので、ほとんどの人は大学へ行きます。しかし、大学に行ったからと言って、将来いい会社に就ける保証はないし、勉強しかできなくて、動けない人だっていると思います。でも今の世の中、大卒の方が給料がよかったり、採用が有利だったりしてませんか?自分の勝手な偏見なのでしょうか。
どうして大卒と高卒では差をつけられるのでしょうか。学力ではなく、人間性、社会性で判断してほしいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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商店街のお店ならともかく、大企業は一人一人見てられない
高卒より大卒のほうが待遇が良い…偏見じゃありません。その通りです。
大学に行ったからって良いとこに就職できる保証はないし、動けるとは限らない…まぁ、そりゃそうですね。でも、逆に考えてください。企業は『大学に行った人の中から優秀な人材を探す』のですから、大学に行きゃそれで良いってもんじゃないけど、大学に行った上で自分を磨かないといけないのです。
じゃあなんで大卒の中から探すの?別に学力が高いからじゃありません。
「大学は勉強するところじゃない」
私、この言葉が大っ嫌いですけど、遅くとも10年ちょっと前まで当たり前に実践されていたものです。バブル期なんかこれが常識でした。今でもそう思っている人は少なくありません。この言葉を知ると、学力が違うからというわけではないと分かるでしょう。それこそ社会性の問題なんです。
まず、『やれと言われたときに、やれと言われた内容を勉強できた人かどうか』。仕事なんてやれと言われたときにやれと言われたことをしてばっかりです。もちろんそれだけじゃ半人前ですが、それさえ出来ない人に給料は払えません。
「俺、やる時はやる男だから!」こんな奴はいちっ番使えない。ヒラ社員のてめぇが勝手にやる時を決めてんじゃねぇよ。ってか、てめぇがやる時じゃないと思ってる今も給料発生してるんだよ!1分1分全力でやれやって話なわけです。
受験勉強をしていれば将来に迷ったり、勉強自体が嫌になるのはみんな同じです。でも、その同じようにみんな辛い状態を上手く克服した人が優秀である確率は高いと考えられるわけです。
もっとも高卒で仕事に就いた方が結果的に儲かる場合もあります。しかしそれは「社会で何が求められていて、それに対して自分が何をできるか」を自分で分析できる人です。ちょっと厳しいことを言いますが、「自分はなにがしたいか分からない」と言っているうちは高卒でも大卒でも修行道場卒でも将来は期待できません。
しかし、大学4年間はそれを分析する方法と時間の『チャンス』をくれます。だから大学に行くことは大切。
「まず」とか言っときながら字数制限きそうなのでもう書けませんが、まぁ、そんな感じです。
大学入試も同じで、結局は学力そのものだけではなく、勉強するモチベーション管理能力を含めた上での広い意味の学力を測っているのですよ。だからがんばろー
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
読んでいて、「なるほど」と、納得させられるばかりでした。
自分が甘かったのにきづきました。
焦らず、自己分析していこうとおもいます!
ありがとうございました。