出来てしまった子
よろしくお願いいたします。
私には兄と姉がおり、私は出来てしまった末っ子という位置付けで生まれたようです。年齢が進み特に愛された記憶も虐げられた記憶もなく、裕福ではないながらも生きてくる事ができました。
折りに触れ年老いた母へ、誕生日や記念日のお祝いをしています。その際兄は不参加で、私が企画をしプレゼントを選び、場所や旅行の全てのセッティングを行います。
お金も姉よりかなり多く出して母を喜ばせるために頑張ります。
ですが母は姉にしか感謝しません。そして姉も毎回自分の手柄として、賛辞を受け入れています。正直、イベントが終わると毎回落ち込み鬱状態になり苦しいです。要らなければ産まないでほしかった、こんな惨めな思いはもう沢山!と最近は死を意識します。友達も居ないし家族にも必要とされない、この苦しい気持ちをどこにぶつけたら良いのかアドバイスをお願いいたします。
自分で自分が分かりません。どんな人間なのか、何を望んでいるのか、どんな自分になりたいかなど現実を直視したり、希望を持つことが出来ない人間です。
何も手に入らない人生に苛立ちます。 他人の幸せが妬ましい自分が嫌で仕方がありません。卑屈で根暗、性格の悪さを直したいと思う自分もいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたのいのちは尊いのです。
ご相談読ませていただきました。その苦しい気持ち、お察しします。
まず、あなたがどれだけお母様のために頑張っているか、その努力や心遣いは本当に尊いものです。その気持ちに誰が気づかなくても、その事実は消えません。あなたの優しさと愛情は、決して無駄ではありません。
家族からの感謝や認知が得られないこと、そしてその結果として感じる孤独や悲しみは、非常に辛いものです。「要らなければ産まないでほしかった」という思いに至るほどの深い苦しみを感じておられること、本当に心が痛みます。生きる価値や自己評価が揺らいでいるのでしょう。
けれども、少し視点を変えてみてください。あなたの価値は、家族の反応だけで判断されるものではありません。あなた自身が持っている善意や努力、それ自体があなたの価値を証明しています。他人の反応や評価に左右されず、自分の心の中での満足や意義を見つけることも大切なのです。
とはいえ、このような状況で孤独を感じ、誰にも話せないでいることは精神的にも非常に重い負担となります。友達がいないとおっしゃいましたが、人とのつながりを再形成することも重要です。たとえば、共通の趣味や関心を持つ人々と交流する場に参加してみるのはいかがでしょうか。それは決して簡単なことではないかもしれませんが、新しい人間関係があなたの心の支えとなるかもしれません。
また、感情や悲しみを文字にする日記を書くことも一つの方法です。自分の気持ちを整理し、表現することで、少しずつ心の中の重荷を軽くすることができるかもしれません。
あなたにとって一番大切なことは、自分自身を大切にすることです。あなたはここに存在するだけで価値があります。その事実を忘れないでください。お釈迦さまは何か偉業をなすわけでもなく、ただ存在するいのちは全て尊いものとおっしゃっています。
どうか、自分を責めすぎず、少しでも気持ちが楽になる道を見つけられますように。必要であれば、私もお話を聞くためにここにいます。あなたの心が少しでも軽くなりますように。合掌
質問者からのお礼
沢山のメッセージの中から見つけていただき感謝いたします。
生きている事や他人の反応に価値を見出すのではなく「自分の心の中での満足や意義を見つけることも大切」とのお言葉に涙が止まりません。母から感謝されずとも自分の中で達成感を感じ、喜んでもらえたことだけにフォーカスし意味のある事ができたんだと、自分の中に落とし込めたら楽になれるかもしれません。
母が姉だけに感謝の言葉を語っている時、毎回そっと耳をふざき涙を堪えます。この気持ちを誰にも分かってもらえない、そう思っていました。しかしながら、今回ありがたく優しさに溢れたコメントをいただき心が温かくなりました。
5日後に母の誕生日祝いの旅行へ出掛けます。辛くなったらいただいたメッセージを何度も読み返し、心を落ち着けたいと思います。ありがとうございました。