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縁は心がけと行動だけで来るもの?

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有り難し有り難し 19

始めまして。
このようなお時間にこのような愚問をしてしまいすみません。

私は47歳の独身男性です。過去一度も交際していません。
婚活は延べ10年以上しました。けれども同じ女性と4度目の出会いは得られず、何度もダメージを受けて心を病み挫折しました・・・・。

世間では結婚していない人には何がしか欠陥があるということで、様々な情報を集めてどうやったら「やっぱり独身は」と言われないよう人間性を向上させるために仏教も含め様々な実践を行ってきました。
自己中心を直す、思いやりを持つ(自己中心を直したら持てるようになりました)、つまるところ思考を変えました。
自分で出来ることはやろうと考えたからです。
そのおかげで、会社内では以前よりはるかに良い人間関係を築けるようになりました。

でも、会社の女性の方とは会社では親しくしゃべっても、プライベートでは何もありませんでした。

このまま1人で人生を終えるかと、出来るだけ避ける努力をしようと人間関係を男女問わず持つためにサークルに参加してはみたもののうわべだけの人間関係を超えられず(相手がそれを求めていない)でとても厳しい現実を思い知らされました。

では自然体が一番ということで何もせずにただ仕事と家を往復の生活をしたのですが、ただ生活しただけで何も変わりませんでした。

まるでダムを決壊させようと手でペチペチダムの壁を叩いている無力感を感じました。なにをやってもビクともしない・・・・。悩み苦しみは増すばかりです・・・。

最近、「縁」について考えるようになりました。「あるときはある。ないときはない」。
インターネットではよく、縁をたぐり寄せる方法として「明るくしていればいい」、「性格を良くすればいい」と書いてありますが、私は書いている本人もわからないで書いているのではないかと考えるようになりました。
他人との人間関係は確かに良くなりますが、その延長で女性が男性に’男’を感じるのは別の次元の話だと思っています。

とりとめのない話を長くしてしまいすみません。
この状況を変えるには、あるいは受け止めるには何が必要でしょうか?
どうかご意見をいただきたくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

女性から好かれるためには女性の意見をこそ採用

結婚しなくても大丈夫になる。
そういう生き方も実際にあるものです。
ですが、どうしても結婚を希望されるのであれば、女性に協力をしてもらうだけで問題解決だと思います。自分の持ち合わせの素材(素材ではないですが(笑))を活かした最高の自分に仕立ててもらうのです。私ならばそうします。
女性の美容師さんに「私のパーツで女性ウケするようにお願いします」と頼んでみましょう。
私の知人男性は髪型を女性の理容師さんにお願いしてからビジュアル的好感度が50パーセントアップしました。(当社比)
われわれ男性というものは悲しいことに、男性から観た「女性に好かれるであろうビジョン」は女性からみると全くゼンゼンこれっぽちもイケていない、スベッテいるものです。(笑)
女性から好かれる為には女性から支持をもらわなければいけないのに、どういう訳か我々男性は男性目線の「是」とするビジュアルに固執します。
行為や恋愛感情、損得のない関係であれば女性も協力的になってくれるはずです。
その女性たちに、自分をプロデュースしてもらったほうが早いです。
自分の持ち合わせパーツで「女性から好かれるビジュアル」にカスタマイズしてもらうのです。
何故持てる人はモテるのでしょう。
髪型、眉毛、身だしなみなどのビジュアルのみならず、言葉遣い、香り、表情、態度、所作、しぐさ、トークスキル五感を通して洗練されているはずです。
だからと言って、決して、自分はどうせ…などと思ってはいけません。容姿に関わりなく芸能人やお笑い芸人は結婚しています。
どういう訳かわかりませんが、その人の容姿、あり方の中で最高に輝ける最高のありようがあるものです。
仏像でもイカメシイ顔をした仏像もあるでしょう。
それぞれ顔も個性も違います。
それでもおごそかさを持ったビジュアルの仏像もありますように、自分自身が本当に輝く為には、外面も大切ですが、仏行を通して、自分のネガティブな心を無くすることが輝ける近道です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下 覚元様

夜分遅く、早速の御回答まことにありがとうございます。

先ほど御回答を読ませて頂きおっしゃる通り自分1人で対応するあまり女性視点が抜けていることに気づきました。精神的な視野狭窄に陥っていたのかもしれません。
この状況を抜け出すためには少し視点を変える必要があると感じました。

今の自分の状況を鑑みて、最も現実的な道は一人でも揺るがない強い心を仏道を通して育てていくことだと思いました。

最後に改めてお忙しいところ御回答頂き本当にありがとうございました。

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