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寂しくなってきました。

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私はバツイチで、子供と二人暮らしです。

私の両親はあまり仲はよくなかったのですが、母親が病に倒れてから、父は甲斐甲斐しく面倒をみるようになりました。
病は辛いことでしたが、母は父に優しくされて、とても嬉しそうです。

その様子をみているうちに、色々自分の中で変わっていく感情に気づきました。

私は離婚した時、私のこの先の人生は子供のために生きようと誓いました。
でも、いつか私が老いて病に倒れた時、母によりそう父のような人はいない。私は一人なんだ…とひしひしと痛感しました。

寂しい。
私も、誰かと手を繋いで生きていたいと思うようになってきたのです。

でも再婚は考えていないので、自分でも気持ちのおとしどころがなくて、なにか救いのお言葉を戴けたら…と思いました。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あの世への旅立ちは、遠足気分で!

お母さんの病気により教えられた事。生きる事の苦しみ、死の恐怖、お父さんの本当の優しさ、そして無常観。
この世は「無常観」から出来ていると言ってもいい程です。
お母さんに対する不安感と自分の死を迎える時の不安感(寂しさ)を感じておられる事が良く分かります。
人は一人で生まれ、一人で死んで行くものなのです。と耳にしますが大事な事は生まれて死ぬまでの間が大事なんです。皆に共通するのは生まれたら必ず死ぬ事「生者必滅」ですがその間の生き方は其々に違っています。仏教では生まれて来たらどう生きてどう死を迎えるかなのですがその間の生き方を説いて苦をいかに受け止め楽な心で生きれるか如何にして善い行いをして自分の道を歩めるか!

この世の人々は何時死ねか誰にも分かりません。明日はあると思い込んでいますが今日の自分の今は分かりますが明日は予想でしかないのです。
だから死の迷いを考えても誰もが予想でしかありません。
分からぬ先を思って生きるより、今日の今を生きそして今を懸命に生きておられるお母さんの今を大事にする事が大事なのではと思います。

実は私は昨年病気になり何とか命拾いはしましたが、医者からは何時再発しるかは死ぬまで分からないと言われてます。今はいつでも死を迎える心は出来ました。毎年正月に遺影を撮る事を決めごとにして今年の分も撮りいつでも準備万全です。

あの世は仏国土とも言いますが旅立ちの時を小学生の時の遠足の前の晩の気持でいます。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

お返事くださって、ありがとうございます
私の漠然とした不安をわかってくれて、ありがとうございます。
山口さまも、どうぞお身体大切にしてくださいませ。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ