もう、前を向いてもいいのでしょうか?回答受付中
2年前ほど、叔父が亡くなりました。ある日の突然の死でした。小さい頃からお世話になっていた叔父でした。
最初は悲しくて泣いてしまったのですが、叔父は優しい人で、人の不幸を望まない人でした。なので、私もいつまでも悲しんでないで、立ち直ろうと思い、すぐ立ち直ることにしました。
寿命や運命の日まで最期まで生きた人達を亡くなって最後悲しいだけで、そんな風に見たくないと思います。ちゃんと最期まで生きたこと、その人の思い出や、感謝の気持ち、その人から学んだことにも目を向け、活かして生きたいと思います。
叔父が亡くなる少し前に、私が小さかった頃に、「私なんか…。」って後ろ向きの事を言っていた頃の事を心配していたらしく、珍しく昔の事を珍しく思い出しているなと思っていたのですが、私は現在、私なんか…。の言葉は、後ろ向きの言葉ではなく、私は私で自由にやれるから気にしないでっていう前向きの言葉として言えるくらいに成長してるので、そんな姿を見せてあげられたらなと思います。
ですが、どうしても、亡くなった人達に対して、あの人は亡くなったのに、私は能々と生きていていいのだろうか?、思い出す度に、もう会えない、虚無感と寂しさがどうしても葛藤で出てきてしまいます。身内になればなる程それは出てきてしまいます…。
本人達もそんなことは望まないと思うので、人はそれぞれ自分の時間というものがあり、自分の時間を生きているだけなので、自分の時間を全うして生きていこうとも思います。
そう思っても、その葛藤が頭を過り、もう、立ち直って、あとは前に進むだけなのに、本当にそれでいいのか?と自信が持てず、一歩が踏み出せずにいます。
亡くなった方達に対してどう受け止めて、どう考えるのが良いのでしょうか?前に踏み出してもいいのでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
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手を合わせながら、いのちを考える機縁としていきましょう。
親しければ親しいほど、別れの悲しみは深くなってしまうものです。喪失による悲嘆(グリーフ)が起きているのでしょう。
これは誰にでも持ち合わせている感情でもあり、大切な人を想うと、別れが辛いものですね。
悲しんでいてはいけない。涙ばかりを流していては…と、自分の気持ちを抑えるよりも、悲しい時は泣いたっていいのです。思い出は、様々な形で、あなたの感情を呼び起こし、支えてくださることでしょう。そんな自分の気持ちを大切にすればいいのですよ。
グリーフは、前を向く力になったり、懐かしく寂しい気持ちを起こしたり、気持ちも行きつ戻りつするものです。
だから、手を合わせながら、いのちを考える機縁としていきましょう。
私たちのいのちは、限りがあるのです。悔いのないよう、大切に生きていきましょうね。
きっと見守り応援なさって下さいます
拝読させて頂きました。
あなたがこれから前を向て生きていいのかと悩んでおられることを読ませて頂きました。詳細なあなたのことや周りの方々のことはわからないですけれども、あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
あなたがお亡くなりになられた方のことを思うお気持ちはとても尊いと思います。あなたが叔父様方のことを心から思いご供養のお気持ちを捧げているのをきっと皆さん優しくご覧になっておられることでしょう。そしてあなたが毎日を健やかに前を向いていき抜いていくのをきっとお喜びなさって下さいますし、あなたのことを心から応援なさって下さっているでしょう。
どうかこれからの未来にしっかりとあなた自身お向き合いなさってあなたの目指していく道にしっかりと一歩ずつ歩みだしていって下さい。あなたがその様に前を向いて生きること自体がお亡くなりになられた方や叔父様がいらしたことも生きた証となっていくのです。きっと皆さんがあなたのことを支えて励ましこれからも正しい方へお導きなさって下さいますからね。どうか安心して歩んでいきましょう。
あなたがこれからも多くの方々に優しく見守られて支えられ導かれ、あなたの大切な未来にお向き合いなさり一歩また一歩としっかりと自信もって歩んでいくことできます様に、そして健やかに毎日を生きることできます様に、皆さんと一緒に心から豊かに幸せ生きていくことできます様に、与えられた天寿を生きていかれます様に切に祈っています。そしてあなたを心より応援させ頂きます。
そして与えられた命全うなさる時には必ず仏様や神様がお導き下さり、先に往かれた方々やご先祖様や叔父様があなたを優しくお迎えなさって下さいます様に切に仏様や神様やご先祖様や叔父様にお祈りさせて頂きます。至心合掌