趣味と嫉妬
趣味で絵を描いていますが、身近にとても上手い知人がいます。以前はその知人の絵も楽しく拝見出来ていたのですが、今ではもう、ただ落ち込む事しかでしません。
なにも手につかず、辛いです。
知人は、周りの方達から感想を貰えたりしています。自分はスルーされる事が多く、自分との差が気になり始め、なんでもその知人の方が上手く出来るのだと、その知人の方が周りに好かれているのだと思うばかりです。
他の知人に相談すれば、貴方も上手いのに考えすぎだと言われるばかりです。貴方の中だけの障害だと。
でも、周り人たちもその知人が一番なんだと思うと、「どうせ私なんて知人の代わり、二番煎じでしょ。下手くそでごめんなさい」などと周りに当り散らしてしまいます…。気分転換してみたら?と言われると、私は必要ないんだ。と冷たく突き放されている気分になります。
そんな事ないよ、と言って欲しい、一時の安心感を得たいだけなのかもしれません。でも結局は、また絵を見て落ち込んで、当り散らして、繰り返しで、もうどうしたらいいのかわかりません…。
本当に、自分は何をしてるのか…努力もしないで最低な人間だなと、自己嫌悪になり、毎日のように泣いています。
自分が頑張るしか解決法がないと思うので、頑張って練習はしている方だと思います。でも、その方の絵を見た途端、何もかもどうでも良くなります。
自分の絵が大嫌いです。
差を見るのが嫌で、完成させる事も困難になりました。
でも、これしか取り柄がありません…
ただ絵を楽しく描きたいだけなのに、こんな思いになるのは辛いですし、絵が上手い知人にも申し訳ない気持ちになります。
こんなどうしようもない事で、もう二年程悩んでます。アドバイス頂けると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
比べない
大好きだった絵が、思うように上達せず、また身近にもっと上手な人がいて、落ち込んでしまい、描く気持ちまでなくなってきてしまったのですね。
その苦しみの原因としては、あなたが、その身近な友人の作品とあなた自身の作品とを比べてしまっているからだと思います。周囲の人からも「上手だ」といってもらえているのでしたら、その言葉は素直に受け取りましょう。
その人にはその人の良さが、あなたにはあなたの良さがあります。
トマトとメロンは違うものです。トマトはどんなにがんばってもメロンのような味にはなれません。またメロンはどんなにがんばってもトマトのように赤い色にはなりません。でもトマトもメロンも比べることをしません。メロンはメロンなりに、トマトはトマトなりに、一生懸命実をつけています。
それに、もしあなたがもっと上達して、その人より上手くなってしまったとしたら、どうでしょう?優越感ですか?あなたは絵が上手くなることによって傲慢な人間になってしまうかもしれません。だから比べるのはよくない。
自分は下手だなぁ、と向上心を持って臨んだ方が、謙虚で良い絵が書けるようになると思いますよ。
最後に、作家で、味のあるカボチャやジャガイモの絵を好んで描いた武者小路実篤さんの言葉から。
「デッサンは実にへたなり。勉強するつもり」
「桃栗三年柿八年
だるまは九年
俺は一生」
「桃栗3年柿8年」というのは、日本の諺で、「桃と栗は芽が出てから3年で実を結び、柿は8年経ってから実を結ぶ。木にはそれぞれ種をまいてから実がなるまでに必要な年月がある。そのように人も、その職業や学問、技芸に応じて必要な年季を入れなければ、成果は期待できないものである」ということ。
だるまの「9年」というのは、達磨大師が、インドから中国に禅宗を伝えるために、9年間嵩山の少林寺で坐禅を続けたという故事によるもの。
そして、「俺は一生」というのは、一生かけて、文学や絵をがんばるぞ、という気持ちを書いたものだと思います。
なによりも、楽しんでやることです。絵を描くとは、なかなか良い趣味ですね。楽しみながら一生の趣味としましょう。