故人(推し)への写経
見つけていただいて、ありがとうございます。
写経の願意のところに、縁もゆかりもない方(推し)のご供養を書いてもよいのでしょうか。
私、歴史が好きでして。
歴史上の人物(推し)には、たくさんの学びをいただき、日々生きてます。
もしできることならば、写経という形で感謝が伝えられればな、と思いました。その反面、縁もゆかりもない人が写経でご供養は、あまりにも重すぎないか、タブーにならないかが心配です。
なお、写経が終わったあとは、我が家がお世話になっているお寺さんに納めようかと思います。(そのお寺さん、お願いすると写経を納めてくださる)
お世話になっている住職さんに直接誰推しか伝わるのがちょっと恥ずかしいため、こちらで質問させていただきます。
よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
はい、大丈夫です
仏教においてもっとも大切なのは「心からの祈り」です。
たとえ血縁がなくとも、生前に直接の関わりがなかったとしても、
あなたが感謝と敬意をもって誰かを思い、その冥福を祈ることに、何の不都合もありません。
むしろ、そのような純粋な想いこそが、仏さまの願いに近いものなのではないでしょうか。
「供養」という言葉には、
もともと 「尊敬する」「捧げる」という意味があります。
写経という行為は、ただ字を書く作業ではなく、
祈りを込めた一文字一文字の積み重ね。
そこに「この方への感謝と供養を届けたい」という願いが込められているならば、
その功徳は必ずや届くと、私は信じています。
また、恥ずかしさについても、心配は要りません。
願意に必ずしも名前を具体的に書く必要はありません。
たとえば、こう書いてもよいのです。
「縁深く、学びをいただいた方への追善供養のため」
「多くの気づきと勇気をくれた御霊への感謝と成仏祈願」
表現は柔らかくても、心がこもっていれば、それで十分です。
住職さんも、願意の一つひとつに深く立ち入られることは、基本的にはありません。
「仏道は縁による」と申します。
あなたがその人物と出会い、学び、今を生きる糧とされていること
それはすでに、仏教で言うところの「深いご縁」です。
どうかご安心して、そして喜びをもって、その写経を納めてください。
あなたの一文字一文字が、優しく、静かに、時を越えて届いていくことと思います。
合掌
拝読させて頂きました。
あなたのそのお気持ちや思いはとても尊いて思いますよ。
ぜひその人のために写経なさってあなたのお気持ちを届けて下さいね。
きっとあなたのその功徳を仏様やご先祖様がその人に届けて下さいますでしょう。
そしてその人は心から安らかになられます、そしてその功徳をあなたや沢山の方々に振り向けて下さるでしょう。
ぜひあなたの真心を一文字一文字に込めて頂いて完成なさりお供えなさって下さいね。至心合掌
質問者からのお礼
お二方、ご回答ありがとうございます。
ちょっとドキドキしながらですが、1文字1文字、気持ちを込めて書かせていただきます。
願意を柔らかく書いてもいいんだ、と知り、ちょっとホッとしてます。そして、仏様や私の先祖が推し(歴史上の人物)に届ける様子を想像すると、どこか浮わついた気持ちが程よく引き締まります。
仏様やお坊さん方、私の先祖や推しの方々など、たくさんの方の幸せを祈ります。
ありがとうございました。