正信偈の書写について
こんにちは。今回、正信偈についてお伺いしたいことがあり、質問させていただきます。
先月亡くなった祖父のことが何かにつけて思い出されるのですが、自分なりの方法で供養をしてあげたいと思っていたところ、祖父自身が「両親(私から見て曾祖父母)の供養のため」として正信偈を書写していたことを思い出しました。15年ほど前のことになります。生前に書き残したものによると、長年交友のあった知人の方から書写を勧められたとのことです。
こうした祖父のおこないに自分自身を重複させることで、祖父の旅立ちが安らかなものになるようにしたいと思っています。同じ浄土真宗でも唱え方は宗派によって少し異なるようですが、書写に際して気をつけるべきことがありましたら教えていただきたいです。本当は法要でお経を上げてくださったお坊さんにお尋ねするべきなのですが、孫の私が聞くのも差し出がましい気がして、この場で質問してみようと思いました。
正信偈のなかで説かれている教えについてもこれから勉強していかなければならないような段階ですが、何卒よろしくお願いいたします。
世の中に希望が持てない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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正信偈の書写
拝読させて頂きました。
お祖父さまの御往生、悲しみに暮れておいでと拝察致します。
お祖父さまが『正信偈』を書写されておられたとのこと、さぞや浄土真宗を悦んでおいでだったのでしょうね。とても有難いお話ですね。
お祖父さまは御自身の御両親の供養のために書写されたとうかがいますが、往生を願ってのことではなく、一生涯長きにわたってお念仏のお育てに与った感謝の気持ちで書写なさったのかも知れませんね。
それに倣って貴方も書写なさるのは、お念仏が相続されているのだと、とても嬉しく思います。書写されるならば手本のテキストが西本願寺でも東本願寺でも売られています。それを手本になさっても構いませんし、お家にある経本(勤行本)を見ながら書き写されても良いかと思います。
書写(写経)して相続することの大切さは経典にも説かれていますし、その行為が《供養》と考えるのはやぶさかではありませんが、浄土真宗を頂く私たちは、何よりお祖父さまを偲びつつ仏様への感謝(仏恩報謝)の思いを新たにしたいものです。
ところで勤行本には、文字の横に唱え方の旋律を表す博士(はかせ、楽譜のことをそう呼びます)が記されていますので、それも書き写されれば、御自身の書写本でお勤めできるのではと思います。
この書写を機縁として、『正信偈』に説かれることを学んでいかれるということですが、何より最高の《供養》になると思っております。
質問者からのお礼
西田 通慧 様
お教えをいただき、ありがとうございます。
家に何冊か勤行本がありますので、まずはそれを見ながら少しずつ書写していくことにいたします。また、書き上げたものはお寺にお願いしてお焚き上げのようなことをした方がよいのかと思っていました。手元に置いて、使っていきたいと思います。
傍にいた親族の話では、祖父は息を引き取る前に「仏様が見える」と申していたそうです。正信偈の書写に際しては、最期まで祖父を見守ってくださった仏様への感謝の気持ちも込めながら、祖父の歩みに自分を重ねていきたいと思っております。ありがとうございました。