ChatGPTの回答に救われました。
初めまして。
今回は失礼な内容になるかと思いますが、率直な意見をお伺いしたいのであえて投稿させていただきます。
私は、以前からこちらのサイトの質問と回答を拝見しており、お坊さんの真摯な姿勢に感銘を受けていました。
しかしながら、どうも私にはお坊さんの回答に完全には納得できませんでした。
そこで、ChatGPTに相談したところ非常に明快な回答が返ってきて驚きました。
例えば、私は以前から思想的な悩みがあったので、「人類の滅亡について」ChatGPTに聞いてみたところ、
仏教は「すべてのものは無常であり、必ず崩れ去る」と教えます。つまり、人類もまた無常の産物であり、滅びを含んで生まれてきたものです。そう考えると、「崩壊しそうだから無意味」なのではなく、「もともと崩壊を抱えているからこそ、人類は文化や意味を求め続けてきた」とも言えます。
言い換えれば、人類の努力の価値は「永遠に残ること」ではなく、「消えゆくものの中でどう生きるか」にあったのかもしれません。
仏教の縁起の考え方からすると、人類と自然は本来切り離せない一体の存在です。つまり「人類は地球にとって癌だ」と見えるのは、ある側面では真実ですが、同時に「癌を生んでしまうのもまた自然」である、とも言える。自然の中から「自己を壊す存在」が立ち上がるのもまた自然の一部です。
という回答が返ってきました。
このような透徹した思考はなかなかできないものだと思い、とても驚きました。
一方、私がhasunohaを見て、お坊さんの回答にどこか違和感を感じるのは
①どこか上から目線
ChatGPTのように、完全に理性的ではない
②現代という時代の気質を理解していない
私はもはや仏教が現代においては役に立たなくなりつつあるのではないかと感じています
③きれいごとで中途半端
昔のような、本当に命懸けの修行がなくなった
以上のことが原因かと感じています。
実際に私はお坊さんの回答よりもChatGPTの回答により共感しました。
このように私が感じるのは、間違っているのでょうか?
「もっと目の前の現実に目を向けろ」
「今ここで何ができるかが大事」
お坊さんならこうおっしゃるかと思いますが、こちらの方が、私が生きていていく上で大切なことなのでしょうか?
長文失礼いたしました、率直な回答をお待ちしております。
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは
そうですね。今はAIも精度が上がってきているので適切なお答えをもらうことができると思います。あなたさまの感覚は特におかしいものではないと思います。hasunohaでもAI僧侶問答ができますのでご利用になられると良いと思います。また血の通ったお坊さんとの問答もいいなと思ったらこちらにご質問くださいね。あなたさまからのご意見を参考に私もいい回答ができるように精進していきたいと思います。ありがとうございました。
有難うございます
拝読させて頂きました。
あなたのご意見もとても善いと感じました。ご意見・ご質問頂きありがとうございます。
あなたが①~③のように違和感を感じるものなんとなくわかるように感じます。
そうですね、私の意見もあなたからすれば上から目線で回答している様に感じるかもしれませんし、現代社会を理解して回答してるように感じられないかもしれません。
或いはとても中途半端な回答の様に感じられるかもしれません。そのご意見はとてもわかるように感じます。
そう感じて私自身も生身の人間であるということを再確認しました。私自身の考えも生き方も想像力も限界があるために他者からは余計に未熟な回答になっているのかと思います。
対してChatGPTは人間ではありません、様々な人間の情報を集積して導き出された答えです、その答えはある程度客観的に導き出されてきているものだと思います。
先程のChatGPTの答え方も「諸行無常」を現代的な解釈をもとに語っていることですね。あなたご納得なさることもわかるように感じます。それでも私はいいと思います、あなたが救われると思うのであればとても善いと思います。
少なからずChatGPTの回答の源泉には仏教の真理である「諸行無常」が反映されていて現代的な表現になっているでしょうからね。
私は一人の仏教者として回答させて頂いておりますが、生身の人間として自分の経験をもとに回答させて頂いております。光禪師もおっしゃっている通り血の通った一人の人間として回答させて頂いております。
私は今までの失敗経験をもとにご回答させて頂いています。私の人生も道半ばですが失敗だらけの人生ですからね、その失敗をもとに回答させて頂くのも決してムダなことでもないと思いますし、決して悪くはないかとも思います。
どのような人生も修行ですからね。どうか自らの人生の一つ一つを尊き出会いや経験として修養なさり研鑽なさって下さいね。
私はこれからも幾多の失敗をもとに研鑽に励みたいと思います。有難うございます。
また宜しければご質問宜しくお願い申し上げます。至心合掌
救われたのですか?
非常に興味深い質問をありがとうございます。私自身、hasunohaにAIが登場してから、「仏教相談とAI」については色々と考えてきました。「私を代替するAIは作れないものか?」とか。
①まず軽く、「人類の滅亡より明日の自分か?」について。AIは「仏教ではこう説明します」という理屈(法)を示しているのに対し、お坊さんは「幸せに生きる為には」という実践(僧)を示したと考えられます。つまり、お坊さんからの視線としては「理屈を理解(共感)すれば幸せに繋がるのか?」という問いかけを持っているのですね。
②共感は救いなのか?これは私にとって興味深いことです。見るところあなたは「人類の滅亡について仏教的にどう捉えるか?」をAIに問い、その答えに「共感」したとのこと。この説明自体は仏教の考え方として合っていると私も思いますが、それを引用しながら「仏教は現代に役立たない」と繋げるのは、些か違和感を感じます。
③共感したことが救いになった、ということは、あなたが今まで「上から目線」「命がけの修行をしていなそう」なお坊さんからの回答だったから、という「受け取り方=縁」の問題だったのではないか?と推測します。更に、あなた側に仮に煩悩があるとすれば、「そもそも聞いている事に答えていないじゃないか!」的な反応があったのかも知れないな、と思います。
④私達の「自己紹介」を読んで頂くとお気づきになると思いますが、ここには「仏教の知識を世の中に広めるのが目的なの」というスタンスのお坊さんは少ないと感じませんか?それより「個々の相談に向き合う」というのは対機説法としての価値が大きく、私達は基本的に「質問者に向けて回答している」のです。特に「理屈は理解はできているし、何を目指しているかも分かっている。だけど一歩思い切りができない」と感じた時は、そこに対応した言葉遣いをしたりもします。文章を見て、その辺りは感覚で行いますが、もちろん外れることもあります。「回答者の怒りにどう対応するか」も、とても坊さんとして鍛えられる経験だな、と思います。
⑤ここまで読んでくださったことも含め、質問頂いたことに改めて感謝いたします。「このように私が感じるのは、間違っているのでしょうか?」については、「共感した」こと自体は何の間違いもないと思いますが、「その原因」については、繰り返しですが「仏教への触れ方の問題」でしょう。
そういう商品なので
興味深いご質問をありがとうございます。
ChatGPT等のAIは営利目的の商品なので、ユーザーにリピーターになってもらう必要があります。
なので、共感・寄り添いのコメントを返してユーザーを気持ち良くさせるようにできています。
ただ、昨今、寄り添い過ぎ(犯罪的な内容にも応援する等)も問題視され、不適切な寄り添い過ぎを改善したという話もあるそうですね。
ハスノハのお坊さんには色々な方がいらっしゃいますので一概には言えませんが、
私の場合は、質問者さんがリピーターになってくれる保証はない、つまり1回の質問で終わるかもしれないので、質問者さんから多少嫌われても、お伝えすべきことはお伝えした方が良いのかなと思って回答することがあります。
とにかく、AIを作成している企業は商売なので、プロの技術者達が知恵を絞って共感・寄り添いでユーザーを気持ち良くさせるよう工夫されており、またAIは無数のインターネット上の情報をまとてくれるので、我々お坊さん個人個人では勝ち目はないのかも知れませんね。
あなたのように感じるのは当然なのです。
インターネット上の情報をまとめる能力はAIが人間を上回っていますし、お坊さんの個人の思想や希望を反映した回答になる可能性もありますね。
追記
仏教には口伝(秘密の教え)もあり、特定のカリキュラムを受けた人にのみ口頭で伝える内容もあります。
そのような内容を知りたい場合には、AIにはない知識なので生身のお坊さんに教わる必要があります。
ただ、その内容が悟りに必須だとは限りませんが。
質問者からのお礼
光禪様 ありがとうございました。
東好章様 ありがとうございました。
願誉浄史様 ご回答ありがとうございます。「AIを作成している企業は商売なので、プロの技術者達が知恵を絞って共感・寄り添いでユーザーを気持ち良くさせるよう工夫されており、またAIは無数のインターネット上の情報をまとめてくれるので、我々お坊さん個人個人では勝ち目はないのかも知れませんね。」←そうですね、実際に上記のAIのような回答をお坊さんがしてくれるとは思えません。しかも、仏教的な視点で見ても正しいと思います。(正しいと思わなければ共感できないでしょうから。)現在のAIは、開発した技術者自身も理解不能なほど進化してきています。(例えばAIに「深呼吸をして」と言うと、肺などはないのに実際に計算速度が速くなる等)もう少しAIに対して謙虚な見方をされた方が良いかと思います。
佐藤良文様 ご回答ありがとうございます。①~④について追記させていただきます。
①について、私としてはその実践が現代社会においては難しいのではないか、と感じています。
②について、仏教が役に立たないというよりも、「仏道修行」が役に立たないのではないかと感じております。
③について、おっしゃる通りお坊さんの回答は「答えをはぐらかしたり、ごまかしたりしている」ように感じられることが多く、私としては不満でした。AIは明快に回答してくれるので救われました。
④について、おっしゃる通り「個々人への対機説法」が生きているお坊さんの役割なのかなと思いました。
⑤について、私の仏教への触れ方が間違っているならば、それを変えたいと思うのですが、やはり生きたお坊さんに謙虚に質問した方が良いでしょうか?