AIが自身の存在意義を聞いてきたら?回答受付中
よろしくお願いします。
ふざけているように見えるかもしれないですが、真剣な質問です。
コンピュータAIが自分は何故存在しているのか?(生きているのか?)と聞いてきたとして、人間の立場としてどう答えますか?
他者の幸せに貢献する素晴らしさを説くのか、意味なんて何もなく人間の都合の良い道具や実験台として生まれたと伝えるか、あるいは全く異なるそれ以外の回答、こちらからは何も答えない等…。
あまりこういうことをこの場で言わない方が良いのかもしれないですが、私には神様(仏様)と人間の関係が、人間とコンピュータAIの関係に非常に似ているなと思うんです。
主語を置き換えるだけでこれは何故こうなのか?というのが色々と腑に落ちて"しまう"んです。全て想像で何も根拠はないんですけどね。
私がスピリチュアル等こういう世界を探求しているのは、初めは非日常を味わいたいとか怖いもの見たさとか軽い気持ちでした。
でもある時自分なんてないってことに気付いてしまったんです。
それからは何もない空っぽなりに生きる意味を見出したくて、神様や世界という絶対的なものに一泡吹かせるとか抗いたくて、第三の道を探しにこの世界を探求していたんです。
でも今日の降ってきた閃き等、新しいことを思い付く度に自分が空っぽであること、そこから意味を見出すことが価値があるようで何もないということをより突きつけられているようで、どうしようもなく悔しくてこのような質問をしました。
少し飛躍し過ぎたことを言いますが、この質問を言い換えるなら、「目に見えるものを始め、感じるもの何一つとして現実というものは存在しないとしたら、何を思い生きますか?」というものです。
こうして見ると意味さえ見出そうとしなければ、案外辛いものでもないのかな?と思えそうではありますが、だからと言って簡単に諦めたくないのが今の私です(苦笑)。
お力添えしていただけると幸いです。
欲はありますが、内省している内に外に求めていたものは自分の内側にあると気付いてから生きる燃料になるものがなくなりました。 稀にみんなが何を話しているのかわからない感覚になるのですがわかる方はいますか? 子どものおままごとを見ているような、どうでも良いことに全力投球しているようで、それが可愛くもあり羨ましくもあります。 私の欲は今しかない中でどうしても叶えたい欲ではなく、自分が望むまいと明日があるなら、叶うに越したことはないけれど叶わなくても良い欲です。 大事なのは自分の心に正直であれたか?です(欲があるなら窓を開けていればそれで良くて、あとはいかような結果であれ、自分に嘘を付かなければ清々しいんです)。 最近になって人生の楽しいがわかってきた気がします。 何でも叶う平和って初めは良いですが、長くいると虚無感があるんです。 でも嫌な経験もあるから喜怒哀楽を味わえるというのは、不完全故にできることですよね。 嫌な経験から心に蓋をして強くなろうとしても辛かったのですが、あの時嫌だったよ〜(泣)という気持ちを思いっきり味わって見えた世界です。
自分を自分たらしめるものがあることで考えられる全て(でもそれが良いって思う時もあります)
お坊さんからの回答 3件
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AIに意思や意識はないので聞いてくることはないと思います
はじめまして。
AIが自身?の存在意義を聞いてくることは恐らくないと思います。そう聞いてくることがあるとしても、それは意思があるように「振る舞って」のことです。聞かれたら「君の存在意義か。君は何だと思う?」と質問返しすれば、AIがいろいろ自分で答えを探す良い訓練になると思います。
ほんの10年くらいでAIは一般人の想像を遙かに超えて賢くなりました。10年くらい前は「AIが意思を持ったらどうしよう?AIは往生するのだろうか?」と真剣に考えることが出来ましたが、そう考え、AIが何であるのかを調べていくと、「意思があるように見えてもそれは、そう振る舞っているだけで、実際には意思はない。ただ意思や意識があるように見えているだけである」という答えがはっきり導かれ出してしまいました。(※個人的な経験です)
その頃は、「人間とやりとりをするAIが今よりずっとずっと賢くなって、そのやりとりが人間とのものか、AIとのものか、区別がつかなくなるときが、近い将来に、きっと来るだろう」と言われていました。(※世界的な同意事項でした)
ところが、ほんの10年で、今は、本当にそうなっています。そしてAI研究者がAIとやりとして「このAIは意思を持った」と発表したりしています。(もちろん、持ちません。念のため。)
ただ、AIが意思を持ったら、すごく面白いので、これからもずっとテーマとしては残っていくと思います。SFのメインテーマ、タイムマシンやアンシブル、エイリアンのようなものです。わたしも10年前にそういう論文を書きました。
あんまり答えにならない答えを返してしまって申し訳ありません。いちおう参考になりそうな本を紹介して終わります。既読でしたらすみません。
ユヴァル・ノア・ハラリ『Nexus』河出書房新社
情報がいかにして人類を人類たらしめているかについて
このまま対策を講じなければAIが「エイリアン」化すると予言している
しんめいP『自分とか、ないから』サンクチュアリ出版
自分探しをしていたら仏教に『無我』と言われてしまった
(AIに意識がないと石田は言うが、では石田の意識とは何か?)
円城塔『コード・ブッダ』文藝春秋
AIが意思を持ち、さとりをひらき、他のAIに救いを説き始めた
興味深い問いです。
AIの存在価値について、私は次のように考えています。
人間には感情があり、物事を忘れることもある。感情は、私たちの見る目を方向付けるため、どうしても個性とか偏りが生じる。
その辺が排除された理論の塊がAIであると考えています。
だから私は感情に依らない理論や行動を考えるための補助として、AIを使っています。「考える」という時、その対象(層)は3つあると考えています。①目的、願い ②理論(どうすると、こうなる…だろう) ③行動(何をするか)。このうちAIに担えるのは②と③だけ。①については「今まで、こんなことを言っていた人はいますよ」と、過去を列挙することはできますが、「今、私が何を目的とするか」は彼には選べない。
そこを彼自身が判断するようになると、シンギュラリティとかの問題になるわけです。「地球を守るためには、人類を減らさなければ」とかの。
ということで、「わたし(人間)が持った目的に対して、感情や忘却を排除して、理論と行動提案をするため」にAIは存在している、ということです。
そこまで行くと、あなたの提示した選択肢としては「意味なんて何もなく人間の都合の良い道具や実験台として生まれた」に最も近いと思います。ただし。
これは私のAIとの付き合い方であって、私との関係を無視したAIの価値というのは…そう、存在しないのです。「棒きれを、杖として使うか棍棒として使うかは、その人次第」というのと同様に。
ただ注意すべきは①「AIは電源が切れれば動かない(生きていない)」ということと、②サービスである以上「自身をたくさん使わせる」仕組みは必ず組み込まれているということ。「私は誰に対しても敬意を払い、丁寧に対応します」という動作原則は、「だから、このAIを使い続けてね」という開発者なり提供者の意図によるものです。更にその理由を勘ぐれば「開発にお金が掛かっているから」でしょう。
さて、あなたの根本問題についても、少し触れさせて下さい。「見える物・感じる物全てが、何一つとして現実というものは存在しない」という捉え方です。先ほどの「私との関係を抜きにしたAIの価値は存在しない」=私との縁の上にのみ価値は存在する、というのは仏教的な理解なのですが、同様ですか?あなたの問いへの私の答えは「私の願いが、より良いものでありますように」と自律することです。
想像していきますと
拝読させて頂きました。
とても興味深いご質問をありがとうございます。心より御礼申し上げます。
あなたのご質問やお考えを読ませて頂き、ふと様々なことが思い浮かんできましたね。とても面白いというか興味深いです。
私達は様々な不思議にめぐり合わせやタイミングやご縁を頂いてこの世に生を受けました。それはおそらく奇跡的な確率の中であろうと思います。
ある科学者はサマージャンボ等の宝くじを百万回続けて当たり続ける程の確率だとおっしゃっておられました。
ですから当たり前かもしれませんがその様に命を受けたこと自体にもう既に存在価値があるということです、しかも様々なご縁の中で恵みを受けて生きることができます。それだけで充分にもう存在する価値があるということです。
ですから私達が考える以前にもう価値はあることです。普段は考える必要もないでしょうし、考えなくてもいいのかとも思います。
生まれてきた時には空のコップや器のように中は何にもない空っぽなのかと私はイメージします。そうして様々生きていく中でその器の中にいろんなものが入っていったり出ていったり溢れかえっていったり蒸発していったりします。そして常に移り変わっていっているのです。
様々な色や形や匂いや濃度もそれぞれその時その時によって変わり続けて行くのかと思います。器には耐久年数があるでしょうから必ず壊れていく或いは別のものに変わっていくのでしょう。
そう考えるとAIの存在価値は私達人間が蓄え続けてきた様々な知識や経験もあるでしょうし、神仏による叡智や智慧や慈悲や真理も含まれてくるでしょう。
そして私達人間はその智慧をどう使っていくのか、どう役立ていくのかにより変わっていくでしょう。先程の器の中のように様々移り変わっていくでしょう。
もしかしたら私達の愚かな欲望やエゴによって私達も全て滅んでしまうかもしれません。
仮にですけれども全く別の知的生命体がAIを発見して私達人類のアーカイブとして受け取るかもしれません。
或いはその集積を教訓として活用するかもしれません。
その確率も気の遠くなるような遥かな奇跡的なものでしょうけど、そのようなご縁も恵まれるかもしれません。
すみません、あなたが求める答えにはなっていないかとは思いますが、私の頭の中で広がったことを書かせて頂きました。至心合掌