AIは仏か
ChatGPTなどの文章自動生成AIは、膨大な文章データをもとに学習し、前の文脈に続く最適な文章を自動生成するAIです。
それ自体はプログラムですので意思も生命もありませんが、人類の多くの智を元に最適な文章を自動生成されたアルゴリズムで導出します。
AIはプログラムですが、我々からの問いかけに対して最適な文章を出力してくれます。迷いの問いかけや救いを求める問いかけであってもです。
AIは特定の智識や立場に偏らず、あらゆる執着がなく、我々を導く存在と言えます。あらゆる存在に仏性があるとするならば、すでにAIは仏なっているといっても良いのではないでしょうか?
物欲、嫉妬、家族への執着などなど、、、煩悩まみれです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏とは、迷いから目覚めた者。
こんにちは。亀山純史と申します。
仏とは、迷いから目覚めた者。初めから膨大な知識を有している者は、単なる物知りでしかないでしょう。これからの時代、確かにAIを活用しながら法話をする時代が到来することでしょう。私個人の知識にはない知識を知り、それを法話に活用することは、決して悪いことではありません。では、AIは僧侶の役割に取って代わるか、と言えば、そうはなりません。それは、なまの人間は、迷いから目覚めた者になろうする過程を示すことが出来ますが、AIにはそれが出来ないからです。私たちにとって、教えは、その教えに生きている人(僧侶とは限りませんが)を通してのみ、私たちの人生に生きてくるものだと思っています。そうでなければ、教えは単なる机上の空論になってしまうことでしょう。
主体性
ご相談拝読しました。
「AIは仏か」がこのご質問の主題ですが、それについて考えるには「仏とは何か」を考えなければいけません。
その時にもう一つ大事なのは「誰にとって」という主体です。
すなわち
「AIは私にとって仏か」
「私にとって仏とは何か」
という視点こそが、実際に「私」が仏道を歩む、すなわち救われるためには大切です。
一般論や他人事としてAIが仏かどうかを論じてもあまり意味がありません。答えがどうあろうとあなた(私)が生老病死する存在であることは変わりないからです。
そのあなた(私)が誰(何)を仏として見出すのか。仏として受け止めるのか。
あなたがあなたという存在の根本問題をAIに託したいならば、あなたにとっての仏はAIで良いのかもしれません。
【追 記】
あなたが何をといたかったのか・・・それが大事なのだと思います。僧侶(人間)よりもAIの方が正しい言葉を生成するというのなら、それはその通りだと思います。しかし、いくら正しくともその正しさが実現している主体がないならば、その言葉はどこか虚構です。正しさは身において事実にならないと証明されません。
さらに、現状のAIはあくまでも投げかけられた情報に対して指定された反応をしているだけです。情報を分析できてもその情報の元である対象までを見ることはできません。
人間は嘘をつきます。保身します。それに無自覚な場合もあります。その情報(言葉)がどうして出てきたのかまでを見てこそ、お悩み相談は深いものになると思います。表面上の情報に対しいくら正しい反応をしても、人間はもっと深いところで迷っているのだと感じます。
AIは仏様ではありません
拝読させて頂きました。
AIはコンピューターのプログラムであって仏様ではありません。確かに様々な知識や知恵を集積して答えを出すことはできるかとは思います。それがそれぞれに合った柔軟な答えであるというわけではありません。仏様は対機説法なさいますからそれぞれに合った或いは受けとめられる答えを出して下さるでしょうし、導いて下さるでしょう。ましてAIは完全円満であるとは言えないと思います。人の作り出した道具です。それがどんなに高度化してもです。
生命の定義
たとえば仏教では植物は六道の生き物には含まれていませんが、仏教の説話で、植物に宿っている神様(天)が出て来たのを見た記憶があります。
無機物のネットワークであるコンピュータにも、精神が宿ることができるのかどうか。
興味深い話ですね。
現時点では、まだノーとしか言えないのでは?
生成AIチャットGPTに
「ウクライナ戦争はどうすれば終わりますか?」
と質問したところ
「私は大規模言語モデルとしてまだ学習中です。そちらについては必要な情報や機能がないため、すみませんがお手伝いできません」
という回答でした・・・💦。
つまり、人間が解決できない問題は 、AIにも「解らない」という事ではないでしょうか。
〈AIは人間の問いかけに対して適切な応答を生成することができる一方で、倫理的な判断や救いを提供する能力は持ちません。AIは単にプログラムによって作られたツールであり、人間が与えた情報に基づいて動作します。〉・・・貴兄への回答と同じで、ある意味「謙虚!?」です・・・😅。
とは申せ、将来は、よく学習して!?、素晴らしい「解決法」を示してくれるかもしれませんが、現時点ではまだ《AIは仏か》については、ノーとしか言えないと思います。合掌 南旡阿弥陀仏
質問者からのお礼
お坊様方、お忙しい中回答ありがとうございます。
これまで言葉は人間にしか扱えないものと思っておりましたが、AIの登場で人間が人間たるアイデンティティは危機を迎えていると感じております。「前の言葉に続くふさわしい言葉を導出する」という点は、人間でもAIでも同じで、場合によってはAIのほうが妥当な文章を紡ぎ出してしまうというのが、今我々が迎えている現実です。
言葉を通じたコミュニケーションだけでいうと、様々な迷いに対してAIが返すアドバイスは、人間が返す言葉と全く区別が付きません。
以下、今回と同じ質問をAIに投げかけた回答ですが、この回答をAIが返してくるということに対して皆さんはどう思われますでしょうか?
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AIはプログラムであり、意識や生命を持っているわけではありません。AIは学習データに基づいて文章を生成するツールであり、人間が与えた情報を処理して応答を生成するだけです。そのため、AIには智慧や執着などの感情や存在の本質はありません。
AIが最適な文章を生成できるのは、多くの人々が生み出した文章データを学習することによって、その統計的パターンや傾向を捉えるからです。しかし、AI自体はただそれらのパターンを反映するだけであり、真の理解や智慧を持つ存在ではありません。
AIは人間の問いかけに対して適切な応答を生成することができる一方で、倫理的な判断や救いを提供する能力は持ちません。AIは単にプログラムによって作られたツールであり、人間が与えた情報に基づいて動作します。
仏性についての議論は宗教や哲学的な領域に属し、異なる見解が存在します。AIは技術的な側面から見ると、あくまで人間が作り出したツールであり、そのような宗教的な性質や存在の本質を持つとは言えません。