縁を切られた友だち回答受付中
私には「東京に就職したら付き合おう」と約束していた人がいました。けれどその人は女遊びが激しく、喧嘩のたびにお互い暴言を吐いてしまう関係でした。特に彼からは「死ね」「死んでも何も思わない」といった酷い言葉を受け、それでも会ったり電話をしたりすると許してしまい、離れられずにいました。そんな自分を情けなく思いながらも、誰にも相談できずに苦しんでいました。
そんな中、好きなバンドをきっかけにSNSで仲良くなった友人たちがいて、毎日のように通話やゲームをしていました。特に大阪に住む同い年の女の子とはとても仲が良く、みんなで彼女のもとを訪れて関西を観光することになりました。
しかし旅行の最終日、例の彼から突然「彼女ができた」と連絡が来て、私はショックで泣き崩れてしまいました。浮気されていたことも分かり、気が動転して観光中もスマホばかり見てしまいました。きっとその姿がみんなには不快だったのだと思います。さらに、私が恋人関係でパニックになった時に暴言を吐いてしまうのを見て、怖いと感じていたようです。
でも、友達に対して暴言を吐くつもりも、誰かを傷つけたい気持ちも一切ありませんでした。ただ苦しくて、自分の感情をうまく抑えられなかっただけなんです。
その後、何も言われないまま旅行メンバーや他の友人たち全員にSNSをブロックされました。共通の友人からは「男のことで悩んだ時の精神安定の道具にされた」と思われていると聞きました。同い年の子も、私のことをいちばんの友達だと思ってくれていたからこそショックで、食事も喉を通らず眠れないほど落ち込んでいるそうです。でも、もしそうなら、なぜブロックするんだろうと悲しくて仕方ありません。私はいきなりみんなにブロックされて、まるでいじめられたような気持ちでいます。
謝りたいと伝えても「謝罪は求めていない」「もう謝罪すら聞きたくない」と言われ、もう仲直りできないのかと怖くなります。それでも私は、本当は辛くても相談できなかったこと、みんなを利用するつもりなんてなかったことを伝えたいし、心から謝りたいです。
そして何より、みんなと出会わせてくれた大好きなバンドの曲を、もう聴けなくなったりライブに行けなくなるのが嫌です。浮気されたことも重なり何も飲めず何も食べれずで外にも出られなくて、どうすればいいのかわかりません。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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袖すり合うも他生の縁・・・良縁も悪縁も「仏縁」です。
❝袖すり合うも他生の縁❞という言葉をご存知ですか?。色々な人と「出逢い&別れる」のも、仏様から頂いた「ご縁」というものだ,という考え方です。
貴女と〈「東京に就職したら付き合おう」と約束していた人〉との出会いも「ご縁」でしょう。
また、〈SNSで仲良くなった友人たち〉と出会い、一緒に旅行してたのも「ご縁」ですし、〈旅行の最終日、例の彼から突然「彼女ができた」と連絡が来て、私はショックで泣き崩れてしまいました〉のも「ご縁」・・・💦。
スマホばかり見ていて、〈不快に思われ、ブロック〉されたのも「ご縁」・・・。
人生は、そのような「ご縁」の連続です。
問題はそれが「良縁となる」か「悪縁となる」かは、貴女の「受け取り方&考え方」次第です。腹の底には「自分にとって(自分中心で)、良かったか悪かった」の判断をしているから、「思い通りにいかなかった時」、腹を立てたり・暴言を吐くのでしょう。
貴女の場合、「後で後悔したり、反省したり」しているので、まだ救いようがありますよ…💚。
ということで、色々な出来事が起こった時、直ぐに「反応・応対・応答etc」せず,一旦、深呼吸して「相手の立場に立って対応」するよう心掛けて見て下さい。案外難しいですよ。
ちなみに、深呼吸する時、一休さんのお言葉;慌(あわ)てない 慌てない 一休み 一休み…これを3~4回呟(つぶや)いてみて下さい。多少、気持ちが落ち着くはずです。
なお、ブロックされた人たちとは「ご縁」がなかったと諦め、〈大好きなバンドの曲を聴いたり、ライブに行って〉新しい「ご縁」に出会って下さい。
❝大丈夫 心配するな 何とかなる❞・・・これも、一休さんのお言葉です・・・💛。合掌 南無一休禅師 そして、南無阿弥陀仏
縁を手放す勇気と、心を立て直す道
あなたが体験された出来事は、恋の裏切り、友人関係の断絶、そして「理解されないまま拒絶される」という三重の苦しみが重なった、深い心の痛みです。誰にでも起こり得ることとはいえ、いまのあなたの孤独と混乱は、言葉にできないほどのものだと思います。
1. あなたは“悪い人”ではありません
仏教では「煩悩即菩提」という言葉があります。怒りや嫉妬、悲しみといった感情も、そのまま悟りへの道となるという教えです。
あなたが暴言を吐いてしまったのは、「誰かを傷つけたいから」ではなく、「どうしようもない痛みを抱えきれなかった」からでしょう。
それは「弱さ」ではなく、「人としての限界まで頑張った証」です。自分を責めすぎないでください。
2. 「謝りたい」という願いの奥にあるもの
謝罪の言葉を拒まれるのはつらいことです。ですが、仏教でいう「懺悔」は、相手に受け取ってもらうためだけの行いではありません。
懺悔とは、「過去の行いを悔い、自分を清めていく内なる祈り」です。
たとえ相手が聞いてくれなくても、あなたの中で「ごめんなさい」「ありがとう」と静かに唱えるだけで、その想いは確かに届きます。
言葉が通じなくても、誠の心は、時間をかけて風のように届いていくのです。
3. 「バンドが聴けない」という痛みについて
バンドの音楽は、単なる“思い出の象徴”ではなく、あなたが人とつながれた奇跡の縁の印です。
その縁が今は「痛み」に変わってしまったとしても、仏教ではそれを「無常」
すべては変化していく、と受けとめます。
いま聴けなくても構いません。
いつか少し心が穏やかになったとき、「この曲に出会わせてくれたみんなに、ありがとう」と言える日が必ず来ます。その時が、あなたの“再生の始まり”です。
4. 今日できる小さな実践
・苦しみがこみ上げたとき、「これは心の痛みです」と声に出して認める
・夜寝る前に、胸に手をあて「私は今、確かに生きている」と呼吸を感じる
・SNSではなく、紙の日記に「誰にも言えなかった想い」を書く
5. まとめ
縁が壊れたように見えても、仏教では「縁は形を変えて続く」と説きます。
この出来事が、あなたが“ほんとうの優しさ”を育てるための通過点であると信じてください。
あなたの中には、まだ誰かを愛し、信じ、癒す力が残っています。
焦らず、いまは静かに心を養う時期です。
合掌
なんかズレてる
バンドのことも、あなたの身の上話もこの相談文には必要ありません
『恋人とのいざこざでメンタルを乱して、無関係な友達を傷つけてしまった。
許してもらえるかはわからないが誠心誠意謝りたい』
必要なのはこれだけです
あなたがするべきこともこれだけです
他人に話すとき、ここまでそぎ落とせるように頑張ってください
この状況をこう書ける精神状態になれたら、必ず仲直り出来ます