寂しがりなのに集団の中に入るのが苦手です回答受付中
こんにちは。
現在大学院の2年生です。
私は大学に入学し一人暮らしを始めてから7年間定期的に、孤独感や寂しさに呑み込まれそうになります。
中高と同様、大学でもあまり活動的で毎週練習するようなサークルには入りませんでした。それに時間を使いたいと思わなかったからです。
大学一年生の頃は学部が少人数で仲が良く、その友人たちとつるんでいました。
ですがコロナになり、授業で友人と会うこともなくなり、サークルも入っていなかったため居場所がなくしばらく辛い時期が続きました。
どうしても大人数の集団で何かを続けたり輪の中に入ることができず、孤独感を感じてしまいます。
大学院一年次は新たなバイトを始めたり、授業で新しい友人ができたりと充実していたのですが、大学院二年生になって現在、論文を仕上げるために彼氏とも別れ、バイトにもほぼ行かず、研究室と家の往復生活を2ヶ月ほど続けています。研究室の後輩とも雑談したりご飯には行きますが、同期がいないのでどうしても気を遣って疲れてしまいますし、やはり一人だけ先輩ということもあってか遊びにも誘われないことが多いです。(それ自体は別にいいのですが、目の前で誘われなかったりするとじわじわ削られます)
生きる目的は寂しさを紛らわすことではないとも考えていますが、どうしても集団に所属できない、部活やサークル、バイトなどを継続できない自分に寂しさの責任があると責めてしまいます。継続できていたら今頃もう少し友達がいて気楽だったのかな・・・などとことあるごとに考えてしまいます。(今も仲良くしてくれる友人は全員電車で2時間くらいの距離におり、気軽に食事などはいけないです)
社会人になってもこんなふうに、虚しい毎日のままだったらどうしよう、と思ってしまいます。
また、寂しさに呑み込まれないようにしながら自分なりの目標に向かって努力する、いいバランスを撮るにはどうしたら良いのでしょうか。
長くなり、またよくわからない文章になってしまいすみません。
ご回答いただけますと嬉しいです。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
経験から知る。人を知り、自分に合う関わりを見つけるヒントに。
そうね〜程よいバランスが見つかればいいよね。
確かに、あなたのおっしゃるように、ひとりは寂しいけれど、だからと言って常にグループに合わせながら自分の居場所なんだと必死にしがみつくしんどさもストレスに感じる。人付き合いが嫌なわけじゃないけれど、器用にできるほど自分から輪に入っていくことに喜びを感じるわけでもない。
集団の距離感って、難しいよね。自分だけでどうにか出来るものでもないしね。周りの関わり方にも、影響をしてきますものね。
あなたと同じように感じている人も、たくさんいると思うわ。
ただ、これから、社会に出て就職をしていくと、「仕事なんだ、仕事上の付き合いなんだ、必要な関係者なんだ」と、割り切っていかなきゃいけないこともあります。そのためにも、ひとりの時間を充実させる楽しみが、自分を助けることもあります。また、仲間がいることで支えられる時もある。
苦手を克服することも、自分の助けになるということ。私にとっての居心地良い付き合いを見つけていく必要があるよね。それはやっぱり、経験からくるものです。避けずに、いろんな人を知ること。その付き合い一つ一つが、自分に合う関わりを見つけるヒントになってきますよ。
はじまりの手前
ご相談いただきありがとうございます。
MMさん
ここまで、本当によく頑張ってこられましたね。
誰も見ていないところで、ひとりで踏ん張る時間が長かった。
不安に飲まれそうになったり、寂しさが押し寄せたりしながらも、
ちゃんと今日まで歩いてきた。
そのことをまず、静かに胸を張っていいと思います。
「寂しいのに、集団に入るとしんどい」
この気持ちは矛盾じゃありません。
それだけ人とのつながりを大切に思いながら、
同時に心がとても繊細で優しいからこそ起きることです。
無理して明るく振る舞わなくても、
無理して群れの中にいなくても、
それだけで価値がある自分は、もうここにいます。
いま感じている不安も、焦りも、
未来を真っすぐ見ているからこそ生まれるものです。
そして、学生生活が終わりに向かう今は、
誰にとっても心が揺れやすい時期。
「居場所ってどこにあるんだろう」と思うのは、ごく自然なことです。
終わりが見えてくると、人はこわくなる。
でも、終わりがあるからこそ、
その先にまた新しい始まりが生まれます。
いまは、本でいうと、第2章が開く前の静かなページ。
ページをめくる手前で、深呼吸している時間なんだと思います。
この先、どんな縁と出会い、
どんな場所を「自分の居場所」にして、
どんな自分になっていくのか。
それは“見えていない”から怖いけれど、
“見えていない”からこそ、楽しみにできる未来でもあります。
今までの自分を責めるのではなく、
「ここまで来たんだ」「ここからまた始まるんだ」と、
そっと自分に言ってあげてくださいね。
MMさんの第2章は、きっとまだ描けるスペースが広がっているはずです。
その白さは、空虚ではなく、可能性の広さです。
どうか、少しずつでいいので、
これから描いていく未来に、自分で小さな色や物語をのせていってください。
MMさんなら、ちゃんと進んでいけます。
その力を、すでに持っている人ですから。
是非また、お話しに来たくださいね!



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