負のスパイラルを取っ払うことができない
うまれて私と言う意思をもつことがなければ、親もめくじらたてることもなかっただろうなとか思ってしまいます。
いなくなりたい死にたい思ったこともありました。
なかなか話せずいて、母親にやっとこう思ったことがあったと言ったら、「そんなん誰にでもあることだ」と真面目にとりあってくれませんでした。
私にはかなりショックでした。
兄も似たようなこと思ったことがあったらしく、それを聞いたとき「ほんとびっくりしたのよ~」って言ってたのに、なぜ私のときはせめられる言い方されたのか……。
ショックで未だにひきずってます。
まだ結婚もしてないのにすごい形相で、子供のめんどうはみれないからと言われたり。
兄と姉にはそれぞれ子供いて、ヘルプ行ったり迎え行ったりあります。
羨ましいとかんじてるんだとおもいますが、なんであんな言い方しかできないのか……。
不安に感じたことあったら、すぐに解決したくなり、どうなってしまうのかとか怖いとか、なぜ私がせめられるわけ?と発散もできず。
私には手のひらサイズくらいのタトゥーありますが、後悔はしてませんし消すつもりもないです。
でもおかしいだのふつうはだのせめたてぎみ。
「ふつう」ってなんですか?
気持ちの整理ってなんですか?
親も大変だろうけど……。
人格否定するような言い方するなら、生まなきゃよかったじゃんとさえ思ってしまう。
気持ちの整理つきません
息苦しいです毎日。
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「スルー」力を養う
ネひつじ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
否定され続けると本当に悲観的、虚無的に陥ってしまいますよね・・
まあ、「普通」なんてものは存在しません。
「普通」とは、「普くに通じている」という意味合いですが、一人でも「おかしい」と思っているものがいるならば、普くではないため、「普通」ではなくなるのですよね。
ネひつじ様一人でも「おかしい」と思っているならば、それはもう「普通」ではないと考えてみて下さい。
もっとも、本当に「普通」ならば、「普通」ということさえも言い得ないぐらいに「普通」であるべきなのですが・・つまり言及するまでもなく当たり前ということでございます。
と、別に言葉尻の問題はどうでもよいのですが・・すみません・・
まあ、「スルー」することも時には必要です。
特に責め立てられることでもないのであれば、負のスパイラルに陥らないためにも、「別にいいじゃないか」と開き直って、「スルー」して、目の前のするべきこと、しなければならないことに集中していかれると良いのではないかと存じます。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌