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感情的な父と関わりたくない回答受付中

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姉と妹は母親似で、私は父親似。母とは昔から合わず、反抗的な態度を続けています。大人になるまで父とは仲の良い方でしたが、今は口を利いていません。
情けありませんが、地元に就職してからずっと実家に暮らしております。(毎月、家賃分の支払いあり)独身です。実家で生活していますが、両親とは必要時以外、会話をしていません。
この度、転職した仕事も落ち着いたため、実家を出ることにしました。そして、引っ越しに関する話をしている時に父と口論になりました。父の態度(舌打ち、「おめぇ」という威嚇)に腹が立ち、挑発と嫌味がこぼれると、父は逆上していました。
父と不仲になったのは、数年前に妹が鬱病になった時です。私は妹のために力になりたいと思っていましたが、父は「〇〇(妹)のことはいいから」と、私を家族の一員ではなく「子ども」として判断したように思います。その後、妹の症状は悪化し、目の前で事態が変わっていくことに耐えられず、父とケンカしながら引っ越したり、出戻ったりしました。(妹はその後、入院、退院、薬漬けで別人のようになり、今は両親が世話をしています。)
父と話すと、ストレスがたまるため、話すことを避けるようにしています。
父が、くどくどと話をする時は、「親に対してその態度はなんだ」「お前のためを思っている」「お前は世の中を知らない」「馬鹿なのか」と、こちらを支配したいことが伝わってきます。長い話を聞かせ行動をコントロールし「今まで、どれだけ」「心配しているんだ」「幸せになってほしい」と、親であることを誇張し、自分に主導権が握られると納得して話をやめます。

機会があった時に、もっと早く両親と距離を置く必要があったと思います。
本当は、家族に両親に感謝するべきだと感じています。必要だとわかります。でも、一緒にいても、感謝しようにも、心の中が無音になります。

親鸞の言葉に、親を非難するのは罪である、とあることを思い出します。
感謝できない自分を否定しなくてはなりませんか

大人になり、親も人間であり、人間としてみると弱さや不安を抱えた相手であり、恐ろしくないと感じます。ただ、家族として理解し合えない葛藤が、どうにも複雑です。自分勝手で申し訳ありません。親との現在の関係、普通に会話できないこと…お坊様のお話をお聞きしたいと思い、ご相談させていただきました。

読んでいただき、感謝いたします。

2025年9月14日 21:51

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

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ご相談拝読しました。親子関係で大変にご苦労されているご様子が伝わってきました。また妹様のご病状も心配です。お見舞い申し上げます。

さて、私は親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗の僧侶です。親鸞聖人の言葉に「親を非難するのは罪である」という趣旨のものはあったでしょうか。私の不勉強や記憶違いであれば申し訳ありませんが、ちょっと思い当たらない気がします。

親鸞聖人の立場は阿弥陀仏の本願の前には皆平等であるという地平です。

ですから、一切の生きとし生けるものは、生まれ変わり死に変わりの中で親であったり兄弟であったりするのであって、今目の前の親だからといって特別に敬いなさいとも言いませんし、逆に合わないからといって非難して良いということでもないでしょう。共に阿弥陀仏に願われる存在として出会っていきましょうということになろうかと思います。

とはいっても、現実の私たちの姿はどうかと言えば、親にとって子はいつまでも子なのであって、ともすればおっしゃるように支配的になってしまうこともあります。子は子で親なのだから自分のことを理解してくれて味方になってほしいと期待・要求するものです。

親鸞聖人の平等なる眼であれば私たちは親であっても子であっても共に凡夫です。欲望・煩悩にまみれて縁さえ整えば何をするかわからない弱く儚い存在です。お互いがその自覚に立てば、ちがう関係も開かれてくるのでしょうが、凡夫だからこそそうし難いのが悲しい事実です。

ここは物理的な距離をとって、心の平穏を保ち、時間を置くことで冷静に向き合うというのがとりあえずの良い方法なのかもしれません。

それで今後改善するのかどうかはわかりませんが、お互いに安心できる場を確保することは大切でしょう。

お父様があなたを支配しようとするのは間違っていますが、あなたの幸せを願っているのはきっと本当なのでしょう。だからあなたはあなたの幸せをあなたの責任で目指し、伝えたいことは受け入れられるかどうかは別として淡々と伝えていくようなスタンスで良いかもしれません。

会話というのは聞く人がいないと成り立ちません。お互いに伝えよう伝えようとするばかりでは会話にならないものです。凡夫には難しい。私もそうだなあとあらあためてあなたのお話から感じさせていただきました。

2025年9月15日 6:49
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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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