戒名や葬式について
仏教を少しずつ勉強していると、仏教本来の姿がなんとなく見えてきます。
ブッダとは生きている悟った人を指す言葉であり、釈迦ただ一人を指す言葉ではないこと。
出家は社会に苦を感じた人間が仏道を見出し、自ら進んで行うものであること。
それに伴って得度も生きている間に行うものであること。
釈迦は法灯明を問いたが、専門用語や自分によくわからない言葉でお経などを聞いても意味ないから、分かる言葉で理解したほうが良い、みたいなことも言っていた、ということ。
etc.
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別にこれにそぐわないからといって批判する意図はありません。
ただ、自分は仏道はこのようなものだと解釈している、ってだけです。
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現代の日本の寺請制度からなるお寺の習慣を見ると、全然違います。
一般の人間がわからないお経を読んで、死んだら戒名を半強制的に授け、浄土に行きますよ~ってことがスタンダードみたいになってる。
そういうことじゃないと思っちゃいます。
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私は、死んだら遺体はどうであれ別の物質に変わるだけだから、別にどう扱おうが構わないが、死んだ瞬間に出家したいという欲が芽生えるわけでもなし、そのため戒名は要らないです。
自分の意志で出家したい。
浄土信仰も無いですし。
自分のお葬式も、聞いてもよくわからんお経を唱えるんじゃなくて、現代語訳で、今を生きている人間に向けたちゃんと理解できるお経を読んでほしいと思う。
別に形式を軽んじてるわけではなくて、実際を重んじている、というだけ。
今、この瞬間、生きている人たちが幸せであることのほうがよっぽど大事であるから、そういうお葬式にしたい、というだけ。
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こういう願いは日本で叶えるのは難しいんでしょうか?
葬式の形式も色々になってきたと思うので、こうした願いを聞き入れてくれるお寺さんもありそうな気がします。
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専門家であるお坊さん方に聞くのが正解と思い、投稿させていただきました。
ひきこもりです。外にはでますが、社会的ひきこもり。正社員経験やアルバイト経験は一応ありますが、全然働いてません。 (しかし今はとある理由でアルバイトをしようと求職活動をしています) 正直さ・誠実さを自分にも他人にも求める自己中的な性格があります。 幼少期からそんな感じで、最近、仏教がその苦しみの答えを出してくれているな、と思い、興味が出てきています。 ポッドキャスト、 note(更新止まってます) やってます https://spotifycreators-web.app.link/e/fKcl4akOF2b https://note.com/baji0411
世俗で信じられていることと自分の信じていることがズレていること(重なってる部分もある)。 それが故に衝突を起こしやすい。
お坊さんからの回答 6件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
即心是仏。
こんにちは。浩文(こうぶん)と申します。
ばじさんのその、仏教に対する姿勢と思い。
仰る通りだなと感じます。
仏道とはこのようなものだと考えていらっしゃる。
今を生きている人のためになることのほうが重要だ。
お寺や戒名、葬式など昔から伝わるやり方やしきたりなどは
必ずしもそうではない、と。
色々な考え方がありますから
一概にどれが正解でどれが間違いかということは断言できませんが、
お寺や戒名、葬式など昔から伝わるやり方やしきたりなどは
当時の人にとってその時を生きている人のための仏教だったのかもしれません。
いやきっとそのつもりで真剣に考えていたのだろうと思います。
今を生きるばじさんが真剣にお考えだったように
当時の誰かが「浄土の教えこそ今を生きる人に必要なブッダの教えだ」と真に迫ったことでしょう。
生きている人が変われば願いも変わる。
叶ったことが他の誰かにとっては苦しみになるかもしれない。
意味が分からないままで
一生を終えるのは悔しいでしょう。
はじさんの思いは
今も昔も変わらぬブッダの姿勢そのものだと思います。
やり方は違っていていいんです。
昔と同じやり方を踏襲するのは
そういう人がいてもいい、というだけですから。
やり方が合わないとき
別の方法を知っていれば探究のしようがあるというものです。
どうかご自分の願いを信じて
救われる道を見つけてください。
南無釈迦牟尼仏 合掌
仏教を勉強しつつあるなら、ひとつずつ見ていきましょう。
ブッダという言葉は、「目覚めた・覚った」という意味ですから、自分で覚ったと思って自分でブッダ〇〇と名乗った・呼ばれた人はインドではほかにもいます。
しかし日本に伝わる仏教は、歴史上あらわれたのは、釈迦牟尼仏ただ一人です。ほかにいません。
出家は、当時のインドでは家を出て、乞食の生活をし、覚りを求めることを言いますが、同時に、形成された社会活動から除外されることも意味します。得度は仏門に入ることを意味しますから、家を出る出家と違って、その道(ここでは仏道)を求めることとなります。得度に早い遅いは関係ありません。葬儀で引導をわたされることによる出家得度でも、生前からでもかまいません。生前から出家得度するのであれば、そこにはしっかりとした信仰を持つことが前提で、その道を歩むことが本筋です。
法灯明は、善く説かれた教えを拠り所としなさいという意味です。そこに今生きている人のための教えだけではありません。ご先祖であれ、これから生まれてくる子孫であれ、善く説かれた教え(つまりお経)を拠り所としてもらうために、届けること(つまり回向供養や御祈祷などの儀式)は、しっかりと行うべきなのです。
専門用語がよく解らないとかお経の意味がわからないから、現代の言葉ですぐ理解できるようにというのも理解できますが、善く説かれた教えという言葉(つまりお経)には仏様のお言葉として力があるのです。読誦や写経があるのはお経それ自体に力があるからです。意味が解らないから意味がないは、力をそぎ落として信心が足りないと言っていることになります。
戒名は、ブッダがお覚りを開いて始めて教えを説くときに、「お悟りを開いたものにはふさわしい名前で呼びなさい」と弟子となる人たちを諭したことから始まります。そこから弟子たちにもやがて仏に成るということで、ふさわしい名前を授けるようになったのです。そこには、善く説かれた教えをしっかり守り(戒)、心に留め(定)、他者を導き自らにもよくわかろうとする知恵(慧)の修行が求められています。
今の生きている幸せを仏教を学び求めるのであれば、上記のことをよく理解し在家の方でもその道を励むべきだと私は思います。参考にしてください。
日本仏教でもいろいろな取り組みがされています
お経を唱える時、その主たる部分は経典が移入された時の文字や言葉であることが多いです。
上座部仏教国でもお経はパーリ語でお唱えされていてタイ語やミャンマー語ではありません。チベット仏教のお経は現代語とは全く違う古典語と呼ばれるものです。現代の中国の人が漢訳仏典を読んでも文法も語彙も発音も違います。現代の日本人が鎌倉時代の文章を読むよりも難しいというお話を聞いたことがあります。
一般の人間が聞いてもよくわからんお経というのは、実はどの仏教国においても同じです。
なぜ、そのようになるかと言えば、ひとつにはお経はお釈迦様が教えて下さった智慧を載せているものだから、なるべくそれを改編しないでそのまま受け取ろうという姿勢があるからです。はっきり分かる例としては、日本仏教でも読まれる陀羅尼という種類のお経があります。陀羅尼は漢字の音を借りてもとの音を写しただけで漢字そのものの字義とは関係ありません。
お経は、お釈迦様が教えられた智慧を代々伝えるためのもので、地域性や時代性や個別の見解によってねじ曲げられないように、標準となる一定の文字と形式で伝えられてきたのです。
そうは言ってもパーリ、サンスクリットいっぽんやりでは、その他の言語圏の人に伝えることは絶望的に困難になります。それぞれの国でのお経の現在の姿は、お釈迦様の教えを伝えやすくするメリットと歪曲が生じるデメリットを何とか調整したトレードオフの結果ともいえるのではないでしょうか。
たしかに、聞いても読んでも理解しがたいお経だけでは問題で、日本の仏教各派でもそれぞれ何とか教えを今の言葉で伝えられないかという取り組みが、ずっと以前から行われています。
たとえば、私が所属する曹洞宗では明治時代に修証義という、教えのベース部分を日本語で説明する宗典が編纂され、お葬式やご法事で読まれています。法華経などの漢訳仏典や禅語録も、あえて和訓読みでお唱えするものもあります。
同じような取り組みは他の宗派でもたくさんあるはずです。
ネットにもたくさん情報が載せられていますから、ご興味のあるところから検索してみて下さい。
これからあなたに必要なのは、仏教に関する直接体験です
hasunohaによくぞご相談くださいました。あなたの相談を読ませていただき、同志を得たように私は大変心強く思いました。「わからない言葉で聞いても意味がない」「今を生きている人間に向けた、理解できる言葉を」これは、お釈迦さまが説かれた「法燈明」の精神そのものであり、私自身もこれをお手本としながら、ご門徒さんとの関わりを模索してきました。(でも、実際は、お寺・仏教とのご縁がお葬式・ご法事のみで終わっている方が多く、それ以上の学びや実践を望む方が少なく、私自身はとても残念に思っている一人です。)
浄土真宗について少しご紹介します。「死んだら浄土」について、親鸞聖人は「生きている只今において、阿弥陀さまの願いと働きに出会えたものは、直ちに阿弥陀如来に照らされ護られ、導かれる。だから、「死んだら浄土」に往生することが出来ると述べました。そして、ご法事やお葬式は、「死者のための追善」ではなく、本来「今を生きる私たちが、故人の人生を通して自分のいのち・煩悩をみつめ、人生のよりどころとしての仏縁を結ぶ場」です。戒名(浄土真宗は法名と言います)も、本来は「仏弟子としてこの人生を生き抜く誓いの名のり」として、本人が帰敬式を受けた際に頂くセカンドネームです。
私のお寺でも、「法話会」「仏教入門講座」などを通して、お経や作法を「わかりやすい言葉」でお話ししています。「お寺の子ども会」「夏休みサマースクール」では、楽しい思いづくりをしながら、今を生きる子どもたちに「本当に幸せになる道」をお話ししています。お寺・お坊さんとの思い出が、単なる知識を超えて、一人ひとりの人生を支える直接体験として刻まれていくよう関わりを続けています。
全国には、1万ヶ寺を超えるお寺があります。あなたと同じような問いを大切にしながら、様々な模索を重ねておられるお坊さまはたくさんいらっしゃいます。今後深まる学びの中で、あなたの願いをお話しできるお寺さまとぜひ出会ってください。そして、お寺の活動に参加してください。そのお寺さまとの出遇いや体験を人生のよりどころとして、あなた自身のかけがえのない精一杯生き抜いてください。hasunoha一同、あなたの人生を応援しています。
きっとそういう思いから近年に生まれた宗派が創価学会なのでしょうね。
日本の仏教から僧侶も戒名も排除し、葬儀は友人葬で故人を見送る。
あなたにはピッタリかもしれません。
最近はスリランカからテーラワーダ仏教のお坊さんも来ていますからそちらも合うかもしれないですね。日本の仏教は選択肢が多いのであなたの思いと合うところを探してみるのもいいと思いますよ。(ただしオウムや統一などはダメですよ、気を付けてね)
ただ、私個人としましては、お経を現代語訳で読んだことは何度もありますし希望があればそうしています。以前どこかで現代語訳で読んでいるお坊さんも聞いたことがあります。それに私自身現代語訳の経本を自作までしています。
ただ私個人の感覚ですが、今まで多くの葬儀を経験して思うのですが、葬儀の際はご遺族はとても大きな悲しみや喪失感、あるいは怒りに満たされています。そのような時は現代語訳のお経を読んで頭の中であれこれ考えるよりも、意味の分からないお経をBGMに聞き流してもらう中で、泣くということ、そしてあの世で安らかであることを祈るということが結果的に一番気持ちを落ち着かせてくれる、そんな気がしているのです。
また、年忌法要の際は時間があるので漢文のお経を一緒に読んでから内容を一部抜粋して意味を説明したり、質疑応答の時間を設けたりしていますよ。
また、浄土に行くということも単にそれだけではなく、裏返せば安心して自分が正しいと思う道を歩みなさい、その道の先に何があっても助けに行きますよという応援の意味もあるのかなと思っています。
なお、既存の宗派のお坊さんでも葬儀の内容など相談したらできるだけ希望を叶えてくれると思いますので遠慮なく相談してみてくださいね。
意味を分かった上でなら
お経の意味をわかっている人にとっては、漢文のお経を音読みで唱えるのは、現代日本語訳を唱えるよりも早く読めます。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)にしたって、「はかりしれない寿命と光明を持つ仏に帰依します」と唱えるよりは漢字六文字の方がリズムよく唱えられます。
ですから、意味をわかっている人にとっては漢字のお経は便利なのです。
それを踏まえて、ちゃんと遺言しておいてくれればお坊さんも柔軟に対応してくれると思います。
私も、法事等でお経の一部を和訳で唱えることはあります。
初めての人にも意味を知ってもらいたいポイントだけは和訳で。
しかし、全部を和訳で唱えると間延びしてしまうので、そこは調整しています。
戒名についても、遺族等から「せめてもの贈り物」として戒名をつけてもらう意味合いがあります。
もちろん、生前に授戒会や五重相伝を受けて戒名をもらう(正式に仏教徒になる)のがベストですが、それができなかった人にもせめてもの弔いにと戒名を贈っているわけです。
戒名が不要であれば、その旨を遺言しておきましょう。
ということで、お寺やお坊さんに事前に要望を伝えていただければそれなりに対応できますので、よろしくお願いします。
質問者からのお礼
しばらく経ってからお礼コメントを、と思っていたらこんなにも回答をいただいてしまいました。
本当にありがとうございます。
お一人お一人お礼を書きたいですが、文字数制限がありますので、私の質問に対する回答に関してのみでお許しください。
日本でも、こういう望みを叶えてくれそうなところはある、ということがわかりました。
きちっと遺言を残しておきつつ、色々と探してみようと思います。ありがとうございます。



昼間は、ほとんど法務に出ておりますので、夜の応対になります。
できれば、事前にメールで相談内容を教えていただければ、スムーズなセッションになるように思います。
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