hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

どうしようもない事柄回答受付中

ken男性/30代
回答数回答 1
有り難し有り難し 3

自分では、どうしようもない
大問題にぶち当たっています
すごい不安の中生きています

人は必ず救われるモノなのでしょうか?
必ず乗り切れるモノなのでしょうか?

怖くて怖くて
苦しい時の神頼みと言われるでしょうが
毎日、仏壇に祈っています

神様、仏様は
必ず救ってくれるでしょうか?

2026年8月18日 13:00
ken男性/30代
質問数:
5
私の煩悩:

統合失調症です。

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

補助輪が仏様。

ご相談を読ませていただきました。

神様や仏様というのは、自転車でいう「補助輪」のようなものだと思います。

自転車を漕ぐのは自分です。
行き先を決めるのも、ペダルを踏むのも自分。
でも、ふらついて倒れそうになった時、そっと支えてくれるものがある。
それが神様や仏様なのではないでしょうか?

そして、その手は必ずしも「神様です」「仏様です」と名乗って現れるわけではありません。
困っている時に声をかけてくれた人かもしれない。お医者さんかもしれない。家族や友人かもしれない。偶然出会った言葉かもしれません。

その時には分からなくても、何年か経って振り返った時に、
「あぁ、あの時あの人がいてくれたから、今ここにいるんだな」
と、初めて救われていたことに気づくことだってあります。

だから、「これから悪いことが起きたらどうしよう」「自分に乗り越えられなかったらどうしよう」と、まだ来ていない未来ばかりを恐れなくてもよいのだと思います。

それよりも、今、自分のそばにあるものを見てみてください。

今日食べられたこと。眠る場所があること。話を聞いてくれる人がいること。そして、怖い時に手を合わせられる場所があること。

当たり前に見えるものの中にも、案外たくさんの「有り難い」があります。
もちろん、これから転ぶこともあるでしょう。失敗することだってあります。
でも、転ばないことが救いなのではありません。

転びそうになった時、もしくは転んだ時に差し出される手があること。そして、その手を借りながら、もう一度自分でペダルを踏めること。

それもまた、神様や仏様の救いなのではないでしょうか。

神仏に人生の主体を預けなくてもいいんです。
あなたの人生ですから、主人公はあなたです。
その隣には、いろいろな姿を借りながら、神様や仏様がおられる。

そんなふうに考えながら、まずは今日、自分で踏める分だけペダルを踏んでみてください。

2026年8月18日 14:46
{{count}}
有り難し
おきもち

山の中の小さなお寺の住職と児童福祉施設で働いております。 毎日いろんな出来事がありますが、そのたびに、「仏教って、生きる力そのものなんだなぁ」と感じる瞬間があります。 ハスノハを始めたのは、友人の僧侶が青空説法で、人の悩みにまっすぐ寄り添っている姿を見たのがきっかけでした。 「自分にも、こんなふうに誰かの心に光を届けることができないだろうか」 そんな思いから、この場に身を置かせてもらっています。

煩悩スッキリコラムまとめ