心配症と不安(親の病気や死)
自分の性格は心配症です。
例えば車を運転していたら、この角から人が飛び出してくるかな?自転車に乗った人が急に来るかも?反対車線の渋滞した車の間から人が出てくるかも?と心配になります。
本題は、自分の親がもし病気になったら、亡くなったら耐えられないと、不安に襲われることです。
いま現在、両親はありがたいことに健康で生きていますが、急に病気にかかるかもしれない、急に亡くなるかもしれないと考えると、不安で仕方ないです。
歳を取ったことによる両親の体の不調が、もしかしたら大病(がん、心臓や脳の病気等)かもしれないと、急に不安で心配でたまらなくなります。
心配し出したらきりがないですが、最近はとても不安でたまりません。
もちろんいつか人間は亡くなりますが、自分が両親の病や死の時を迎える時、耐えられるのか、どう対処したらいいのか、分からずにいます。
大切に育ててくれた両親がいつまでも健康で長生きしてほしいですが、いつかはやってくる別れの時を想像すると、不安で仕方がありません。
どのような心構えでいるべきか、不安に襲われた時はどう対処したらいいか、教えていただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今ある時間を、悔いのないように大切に、一緒に過ごしたい。
私も不安です。特に大切な人や両親を失ったら、私はどうやって生きていったらいいのだろう。
いつかはと思っていても、考えたくないですよね。親はいつでもそばにいてくれる、そう思っていたいですものね。
それでもこの世は、諸行無常。いつか、いのち終えていかなければならない。だからこそ、不安を膨らませるよりも、今ある時間を大切にと思っています。
私もね、親から調子が悪いと連絡があると、心配になりますし、堪らなく心細くなります。ですが、不安の中 時間を過ごすよりも、できるだけ親と大切な時間を過ごしたいと思い、連絡をしたり会いに行くようにしています。今までも、親からたくさんの愛情を受け、大切に育ててもらってきました。感謝でいっぱいだし、その想いはちゃんと親に伝えたい。
あなたは親との時間をどれだけ共有していますか?
不安になるほど大切な両親に、感謝を伝え愛を注いでいますか。
いのち終えていくことは、別れていくことではありません。先に仏様の世界に生まれ、導き待っていてくださる存在へとなってくださるのです。そう思うと、悲しい中にも、ずっと親子であり続けられるのだなと、安心でもあるのです。
だから私は、不安になるよりも、今ある時間を、悔いのないように大切に、一緒に過ごしたいと思っているのですよ。
あなたも、ご両親との時間を大切に。過ごす時間が、これからのあなたをずっと支えて続けていきますからね。
れいゆん 様 相談ありがとうございます。
「生まれるものは、必ずいつかは、死を迎える。
ありとあらゆるものはうつろいゆく、
そこにとどまることはできない。
思い通りにならないことに執着せず、
とらわれることなく、正しくものごとを見て
心を調えて歩め」
これが、仏教の基本的な心構えです。
「明日突然死ぬかもしれない
今この瞬間に、生きていることは
とても貴重な瞬間なのだ
今、このときを、貴重で大切な時とみて
正しく行動し、不安に打ち勝ち、
しっかりと歩め」
これが不安に打ち勝つ行動の心構えです。
不安に襲われたなら、未来のまだ起こっていない出来事の
とらわれを捨てて
今何が、正しい行動なのかとわかり、
ただ自分の悩みや欲にとらわれずに、その行為を行いなさい。
ということと思います。
参考にしてください。
一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。また不安に襲われたなら遠慮なくご相談ください。その不安さんを心の外の追いやって、眺めてみて、そこから「何か教えてくれないかな?」と不安に尋ねてみるという方法もあります。
ご縁がありましたら、いろいろお悩みをお話しくださいませ。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
質問者からのお礼
お二方ともご回答いただき、ありがとうございます。あれから家族が入院したり、手術の予定が入ったりと、バタバタしていましたが、頂いた教えがあれば乗り越えられると強く信じられるようになりました。
私を導いてくださり、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
両親と一緒に生きていく、この瞬間を大切にしながら、1日1日を生きていきたいと思います。