「三途の黒闇ひらくなり」の意味
先日亡くなった息子に、よく正信偈を唱えています。
正信偈の中の一文で、
三途の黒闇ひらくなり、とありますが
その部分の意味を教えていただけますか?
三途の川の概念はあるのでしょうか?
まだ満中陰を迎えていないですが、
息子はもう仏様になったのでしょうか?
仏様は、極楽浄土という遠い世界にいるのですか?
それとも、いつでも私たちのそばにいるのでしょうか?
多々質問してしまい恐縮ですが、
ご教授いただけますようお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
地獄、餓鬼、畜生界には落とすまいぞ!
という意味になります。落とさないのは阿弥陀如来さまです。そして、大応供ダイオウグとは、大きな供養を受けるべきお方、阿弥陀如来さまの別名になりますが、阿弥陀如来さまを信じなさいよ。と御開山さまは教えてくださいます。
最愛のご子息さまを失ったお苦しみ、言葉もございません。謹んでお悔やみ申し上げます。また、正信偈を唱えてもいらっしゃるご様子、ありがたいことでございます。ご子息さまは極楽往生間違いなし!阿弥陀さまが抱っこしてお連れになりましたよ。もうご心配は入りません。お浄土では阿弥陀さまをはじめ諸菩薩さまや、たくさんの仏さまがあなた様に代わりお育て申し上げています。大丈夫!
極楽浄土は遠いところにあるわけではありません。精神世界ですから、あなたがいまいるところも極楽浄土であり、阿弥陀さまがあなたのお苦しみにいま寄り添ってくださっています。あなたが最愛のご子息を思う時、息子さんは隣で僕はもう大丈夫だから、お母さん泣かないでね。ど語りかけていますよ。どうか悲しまないでください。息子さんになりかわりお願いします。息子さんはこれから極楽浄土ですくすくと育ちますよ、大丈夫!
あなたさまは息子さんが誇れるるお母さまになってください。難しいことはありませんよ。感謝の気持ちを忘れずに明るく元気に精一杯生きてください。それで十分です。南無阿弥陀。
お幸せに!どうかお幸せに!浄光寺
仏様となって常に一緒におられます。
御子息様を亡くされましたこと、大変悲しいこととお察し申し上げます。
心より哀悼の誠を捧げます。
質問に答え致します。
「三塗の黒暗ひらくなり」は正信偈の後にお読みする和讃の一節ですね。
「三塗の黒暗」とは死後に往ってしまうかもしれない「地獄」「餓鬼」「畜生」のことを表しています。
「ひらくなり」とはそれら怖い世界を切り開き、極楽浄土へ往生することを示しています。
「三途の川」は創作されたお話であり気にする必要はありません。
「三途」と「三塗」は字も違いますね。
安心して下さい。
>まだ満中陰を迎えていないですが、
>息子はもう仏様になったのでしょうか?
>仏様は、極楽浄土という遠い世界にいるのですか?
>それとも、いつでも私たちのそばにいるのでしょうか?
浄土真宗は死ぬと同時に極楽へ生まれ仏になる宗教ですから満中陰を待つ必要はありません。
もうすでに仏様になっておられます。
仏様は自在なお方ですから、極楽浄土でじっとしておられるわけではありません。
即座に大切な人の傍へ還ってきて、いつでもどこでも護っていて下さいます。
hiroazu0411さんの御子息様も仏となって護ってくれているに違いありません。
私も初めての子を亡くしました。
流産でした。
この世の中も母親の顔も見ることもなく命を終えていきました。
とても悲しい出来事でした。
妻は泣き崩れ、私も一緒に泣きました。
それから私は「今度はお浄土であおうね」とお仏壇に手を合わせるようになりました。
お浄土はありますよ。
先に往かれた大切な方とまた浄土でお会いできる人生です。
仏様とご一緒に精一杯生きていきましょうね。
質問者からのお礼
三浦康昭様、釈心誓様
ご丁寧にコメントいただき、ありがとうございます。
やっと意味が理解できました。
極楽浄土というものは遠い世界ではなく、仏様は私たちのそばで見守ってくださっているのですね。安心しました。
私も、いつかお浄土で会えることを心待ちにしながら、お経をあげ続けます。
また、