亡くなった母について①
母は、3年近く前、数ヶ月の壮絶な病との戦いの末70代で亡くなりました。亡くなる直前まで、仕事(専門職)をしていました。
病が分かった時点で、母は死を覚悟しており、エンディングノートを遺していました。そこには家族への感謝とともに、お葬式、お墓はいらない(父は健在、他県出身で次男、住んでいる所はもともと母方の地元です。また父母とも無宗教)こと、遺骨は拾わないでほしいと記されていました。これは、生前、母が私たちに直接言っていたことでもあります。亡くなったら、近しい人を呼んで、花をたくさん、あとは母が好きだった曲をかけてほしい、病院、お別れ会の費用は、母の貯金から支払うよう、指示してありました。父は、すべて母の希望通りにしたいという考えでした。
しかし、亡くなった時、母方の親族(兄弟たち、私から見て叔父、叔母)から、全くお経もあげない、御坊さまも呼ばないのは非常識だとの意見が出て、母方の実家の菩提寺(浄土宗)の御坊さまに来ていただき、通夜と、お別れ会でお経をあげていただきました。(戒名もいらないという希望だったので、その旨ご住職に伝えましたら、かなり非常識だとご立腹で、いきなり母の枕元で、○○万包んどいて!と仰り、また父のお寺不信が過熱しました)
音楽は渋々、お経が終わってからならいいと仰いましたが、母の好きだった曲のCDが見つからず、かけてあげられませんでした。
火葬場で、父に、母のお骨をゴミのように始末するのは耐えられない、拾うのが駄目でも、火葬場の方に拾ってもらって、箱につめたのを受け取りたいと伝えたのですが、母が嫌がったことを何故しようとするのかと叱られ、受け取れませんでした。
3年近くたち、今だに後悔しています。お墓もない、遺骨もない、母がちりみたいに消えてしまい、拠り所がどこにもない気持ちです。もっと強く父に頼めばよかった、土下座してでも、、という後悔や、母は、後にのこる私や兄に、お墓の維持などで負担をかけたくないという強い信念を持っていましたが、それは私たちが好きこのんでしたいことで、母に生前に、迷惑なんかではない、私たちがやりたいからと伝え、説得すればよかった、などど、いつまでも心が晴れません。
お別れ会も、ご住職のかたくなな態度で、あたたかいとは言い難い雰囲気でしたし、後悔ばかりです。
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死んだら終い
リカさんのご質問を拝見し、「人間死んだらおしまいだ」という言葉を思い出しました。
同時に、時代が色々な葬儀や埋葬方法を望んでいたとしても、坊さんとして亡骸の大切さをお話しなければと実感しました。
本当にお辛いですね。私がリカさんの立場だったとしても後悔しか残りません。
本当に辛い。大切な母です。母の意思だったとしても…なぜ、私に支えを残してくれなかったのか、こんな未来も想定して、せめて母であるお骨だけでも残させてくれなかったのか…と考えてしまいます。
お父様も寂しさのなか、愛する妻の希望だからと泣く泣くのことで辛かったでしょうね。
子どもには言えない辛さがあったことでしょう。
そして、葬儀での坊さんの態度、私が代わりに土下座します。
本当に申し訳ございません。本来、通夜・葬儀の場では亡くなられた方が主人公であり、ご遺族の悲しみを邪魔する坊主がいてはなりません。
通夜・葬儀の場での法話は、私にとって重荷でしかありません。30才そこそこの坊主に何が分かる…この悲しみのなか、私が何を言えると思うからです。
悲しみのなか、ご家族の方は坊主や来客に樹を配って下さるのですから、叱ることやお金の話は必要ありません。本当に申し訳ないです。
私は浄土真宗の坊さんなので、法名(戒名)の捉え方は違うのですが、尊敬するお坊さんは「法名は仏さんからもらう名前。親が子どもを名付ける時にお金は請求しないでしょ」と仰っていました。なので、法名料という名目では頂かないです。
②へ続きます。