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親の意見にはすべて従うべきなのでしょうか。

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前回はとても参考になるご意見ありがとうございました。
今回もお答えいただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。

私には付き合って2年を過ぎる彼氏がいます。彼と私の地元は同じではありません。

私の両親、そして祖父母は、私が結婚してからも地元に居続けることを望んでいます。
しかし私は、もし今の彼と結婚ということになったら、彼の仕事をする場所( まだ就職が決まっていない為、どこに行くかわかりません。私の地元ではないことは確かです。)についていくつもりです。
きっと、彼と結婚して彼について行くとなったら両親と祖父母は大反対です。
反対の理由として、子育ての際に家族、特に私にとって頼りやすい存在( 私の両親や祖父母 )が近くにいたら助けられるからだということを、私は幼少期からずっと言われ続けてきました。
確かにその通りだと思いますし、できるならそうしたいとは思っています。
でも、彼に夢を叶えてもらいたいので、私の地元にくるようにとは言えません。

私は両親の言う通り、結婚後も両親のそばにいるために、彼を諦めて地元に残るべきなのでしょうか。
ご意見をお聞かせください。

ちなみに、反対されるとわかっているので、彼氏がいること、その彼と結婚を考えていることは両親に伝えていません。ひとりで抱えるのが辛いです…

よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

巣立ちを甘くみてはいけない。

人間はこの世においてそれぞれが役割を持っています。
・より良い遺伝子を次なる世代に残していくことです。
・そして自らもより良く生きていくことです。
・そして自らの行いを通して他の生命へより良い影響を与えていくことです。
あなたがなすべきことは、親に縛られているばかりではなく、親にすらもよき影響を与えることです。
それは小さな家意識に縛られなくさせる事であったり、あなたがそばに居なくても平気になれる安心感であったり、親の小さな自我やエゴを自覚させることであったりします。
家族意識という事は生命界の広い広いビジョンからすれば人間独自の小さなルール、ヘタをすると縛られです。国内でもお隣の国でも親子意識に縛られ過ぎてノイローゼ、自殺してしまう人も増えています。
親御さんのそばに居ると言ってもそれは親が70を超えていよいよ自分で自分のことをできなくなったならば面倒を見てあげればよいことです。親にも依存させてはいけません。
親の面倒はどうしてもやむを得ない事情でもない限りは、子供であるあなたのご両親がみる❝べき❞ことです。
チャンと話し合いをして自分の本心からしたいことを権利として主張して、それでも分かってもらえないのなら親から飛び出してでも恋に生きるくらいでいいと思いますよ。
親の依存心も断ち切る勢いがないと親も弱体化します。裏切る、見放す、見限るのではなく、あくまで「ちょ、お父さんお母さん、今からアタシに甘えないでよ。しっかりしてよ。」と親を激励するスタンスです。
生物というのはちょうど恋する年頃が親からの巣立ちの時期でもあるからです。
巣立ちは三人がすることなのです。
父親は娘から、母親も娘から、そして娘は両親から。
子どもだけ自立しても親の遺恨のようなものが残るのです。
だからあなたがそれを説得する必要がある。説得してはじめてあなたは巣立ちになるのです。
世間では、恋愛恋愛と言いますが、恋をするという事もその本質は本能がより良い遺伝子を残そうとする営みであると考えてみてください。
祖父、祖父母はあなたのご両親というより良き遺伝子を誕生させた。
親御さんはあなたをこの世に誕生させた。そして今日まで成長させてくれた。
あなたにもそうするべき❝義務❞❝権利❞誰を相手とするかという❝選択肢❞があります。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

全て3本の指で出来ています

親指、人差し指、中指の3つの指を出してください。

フレミングの法則のように親指を立て、人差し指を相手側に、中指を左に直角に曲げてください。

その3本で世界は成り立っています。
親指は自分。
人差し指は相手。
中指は社会やその他の対象。

今回であれば
親指はあおいさん。
人差し指は彼氏さん。
中指はご家族。

その時に、その親指をどちらのベクトルに近づけるか。どこにくっつけるか。
はたまた、人差し指の視点に立つと親指と中指の間はどんなことか。
中指にとって人差し指はどんな存在か。

親指が人差し指と中指の間に位置する時はどんな存在か。
中指のベクトルは思ったより親指なのではないか。

まずは3本、どこに向いているかを頭の中でなく確かめてみてくだい。
親指はどこにでも行けます。

そして、いつか親指と人差し指と中指がくっつくこと。
それが中道と言われるものだったり、空と言われるものかもしれませんね。

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天台宗 高龍山明王院普賢寺 住職。 一般大学、アメリカ留学、一般企業を経る 比叡山延暦寺にて修行。 生きている人のための仏教を支援する会社、結縁企画を創業。 好きな言葉「怨みを以って怨みに報ずれば怨み止まず、徳を以って怨みに報ずれば怨み、即ち尽く 伝教大師」 夢は「和の仏教を世界に発信する国際的な僧侶」

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