覚悟の仕方
よろしくお願いします。
友人のお父様が、もう余命3カ月と言われてしまったようです。
どう覚悟すれば良いのだろう…
その一言に答えられなかった私は
両親を覚悟できる程長く看病する事なく亡くしてしまっているからです。
覚悟の仕方は人それぞれ違うかと思いますが、お坊様たちなら、そう聞かれてどんな風に答えますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私の覚悟。
死への覚悟は、自分自身と自分以外の二つの覚悟が居るわけですが、私の僧侶としての死への覚悟はあります。
分かりにくいかもしれませんが参考になれば幸いです。
我々禅僧には遺偈(ゆいげ)を毎年正月には後人のために残す辞世の偈頌(漢字で表す短文)を書く決まりがある。
人は毎日無常の世の中を生きて行かねばならなく何が我が身に起こるか分からない時を生きている限り誰もが逃れられない死と背中合わせの現実を受け止めて生きる事が僧侶の第一義であります。この事から自覚し覚悟して生きる思いを短く分かり易く書き記したのが遺誡偈頌(ゆいかいげじゅ)でこれを略して遺偈(ゆいげ)と言います。
追記
覚悟の仕方を聞かれた時!自分が覚悟出来て無ければ覚悟は伝わりません。
中々普通に覚悟は出来る物では無いのですが始まりは「無常観」を持つ事から始まり「四苦八苦」の中の死、生、老、病、死を受け止めなければ自覚できなければなりません。
仏教での目標の中では一番重要の部分であり私達僧侶にとっては当たり前の心構えなんですが皆が皆覚悟が出来ているとは限りません!
文面では伝える事は難しく成るので、自分の覚悟を書かせて頂きました。
覚悟を伝えるには己が覚悟をしなければ伝わりずらい事なのですが覚悟は教わるものでなく苦しみ悩み迷いの先にしかありません。逃げる事無く真実を見つめて日々歩く事です!
「親孝行したくとも親は無し」とありますが、やはり親を亡くしても心残りがあるのは覚悟の難しさであり無理にするものではないのです。
伽(とぎ)寄り添う意味ですが、良くご存知なのが「おとぎ話」子に寄り依って話す事です。
お友達に不幸が来たら何も言わず心だけで良いんです。寄り添ってあげて下さい。これを「伽見舞い」と言います。
最後に貴女の今の心を迷いながらでも何時までも大切にして行く事が真実の道、仏道なのです。
質問者からのお礼
山口秀徹様
コメントありがとうございました。
確かに難しいです。
何度も読み返しなんとなく理解出来ました。
バカなもので時間かかりました。
すみません!
ただ、申し訳ありません。
私の書き方が悪かったのだと思いますが、その娘さんの覚悟の仕方をどうしたら良いかを聞きたかったのです。
お父様はきちんと静かに受け入れたらしいのですが、娘さんのほうが覚悟がなかなか出来ないということでして…