母親の一生
はじめまして。
私の母親(67歳)の事です。
優しくもあり厳しくもあり、夫を立てて、他人の悪口等一切言わない、ズルは絶対しない、捨て犬を見れば涙する、贅沢をした事もなければ望んでもなく、本当に真面目な母親です。
そんな母親にばかり気苦労が次から次へと押し寄せて来てる様に思えます。
私の兄は現在も引きこもりで長年無職です。私は中高生の時に体調を崩し入院したりととても苦労をかけました。
母の兄嫁、弟嫁が自殺しています。祖母も母が介護して先日老衰で亡くなりました。母の末の弟が、肺癌末期で今は体が不自由なので母が面倒みています。
苦労している人は世の中に沢山いると思います。もっと辛い悲しい思いをしている人は沢山いると思います。
ただ、そんな母を見てるのが辛くて、時々弱音を吐いてくる泣きそうな母を受け入れてあげれる程、強くない優しくない自分がいます。励ましつつも、聞きたくなさで怒ったりそらしたりもしてしまいます。でも、いつか壊れてしまうのではないかと思う程の精神状態だと思います。
なぜ母だけが?と思いますし、今まで何1つ幸せな事がなかったのではとまで思ってしまいます。
母の弱さを受け入れられない自分、支えられない自分、自分の弱さにも腹が立ちます。私は母に何が出来るでしょうか?何をするべきなのでしょうか?
私は何を思って生きればいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
みんな弱い。けれども支え合って生きている。
こさえさま
お母様のこと、そしてご自身のことでお悩みのようですね。
質問拝見いたしましたが、お辛い状況にありますね。
お母様は本当に色々な理不尽な場面に耐えて耐えて、乗り越えていらっしゃったのですね。
とはいえ、そのようなお母様でも弱音をこさえ様の前では吐かれるのですね。親子だからこそ弱音を吐き出せるのでしょうね。
それを受け入れきれないというのは、お母様のお側にこさえ様が、いつもいらっしゃるからこその苦しさなのでしょうね。
本当のことを側で見て、感じていると、言葉も出なくなってしまう、文面より、お察し致しました。
こさえ様がお母様の為にできること、するべきことは、お母様のお側に居ることではないでしょうか。それ以外に、お母様にして差し上げられることは難しいことだと感じます。
娘さんだからこそできること「一番そばで生き続けること。」コレに尽きると思います。
実際に助けたり、救ったりということでは無いと思います。
ただ、辛そうな時にお側に居て差し上げる。これ以上に献身的、具体的にできることは現状無いと思います。辛い、苦しい人のそばにいるというのは本当に苦しいことです(何もしてあげられることがないのですから)。逆に、そんな時に娘である、こさえさんがお側にいることが、お母様の支えや、ささやかな安心、幸せにつながっているのでは無いでしょうか。
我々も僧侶も同じ、他人を救うなどということはまず、できないのですね。
究極は側に居る、ということです。とはいえ、側に居る、というのは本当に心強いことである、と個人的には思います。正解とか間違いの2つでは括れない、量れない部類のことだと思います。
拙い回答で申し訳ありませんが、ご参考までに一言残させていただきました。
お母様との距離、上手に取りながら、支えて差し上げてくださいませ。それがこさえ様にしかできない、唯一無二の手段であると思います。また、出来る時で構いません、ご自身なりの言葉をかけて差し上げてくださいませ。きっとお母様の心を癒す良き薬になるかもしれません。 合掌
※こさえさん>おはようございます。お礼ありがとうございました。
質問者からのお礼
こんな早くにお返事いただけるとは思ってもいませんでした。
私は母を助ける事ばかりを考えていました。救いたいとばかり思っていました。自分に何が出来るのかとばかり思って悩んでいました。何も出来ない、出来てない事で自分を責め、そんな環境の母を心の中で責めていたのだと思います。
一番側で生き続ける事。
側にいる事。それでいいのだと思いました。母も私に何かを求めてるわけではないと思います。ただ、娘として側にいて、いつでも味方でいてあげたいと思っています。
心がとても楽になりました。
お忙しい中、本当にありがとうございました。