hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自分の親との関係に悩んでおります

回答数回答 2
有り難し有り難し 14

私は1人っ子です。親から子供らしい接し方をされたことは一度も無く、父親からは自分の苛立ちをぶつけられ、母親からも庇ってもらったことはありません。

幼少期から、「この家には私は必要ない」と思っておりました。両親にことごとく自分の進路を邪魔され、口癖は「お前には無理」「絶対に失敗する」「私の言うとおりにしないから・・・」「お母さんを見習え」などです。

視力が落ちてもメガネをかけることに両親が抵抗を示し、学校で行われる視力検査の時は、悪い結果が出ないように、前日に保健室に忍び込んで視力検査表を丸暗記していました。親に気を遣って。。

関係無いかもしれませんが、私は人間関係を構築することがとても苦手です。また、自分に自信がありません。

夫の両親の方が安心出来るのです。他人なので、腹を割って・・というのとは違うのですが、人として、一人の人間として大切に扱ってもらえています。

今は結婚して家を出て、全く違うところに住んでいる為、両親とも殆ど会うこともありません。実家にも殆ど帰っていません。帰っても居場所が無く、嫌味を言われたりするので足が遠のいてしまいます。そのくせ、私に媚びを売ってくる両親が理解できません・・・

これからもしかしたら親になるかも知れませんが、自分の両親のようになるのではないかという不安がいつもあります。自分がされた接し方や育て方をするかと言われれば、絶対にしてはいけないと頭では思っていますが、それでも時々夫に対して自分の両親のような態度を取っている自分に気が付き、憎悪の念が湧きます。夫からは、「自分がされて嫌な事は人にしないこと」と言われます。

私は親からされたことをどう消化すればよいのでしょうか?
どうしたら、親にされたようなことを人にしないように出来るのでしょう?
「子供が出来れば親の苦労がわかる」と言われますが、私は親不孝なのでしょうか?
親にとって娘は可愛く無いものなのでしょうか?
子にはどんな態度を取っても、どんな暴言を吐いても許さなければいけないのでしょうか?
今になって媚を売る両親をどう受け止めればよいのでしょうか?

何かあっても自分の両親には頼りたくないと思っています。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

全ての親は未熟です。

はじめまして。
長谷川哲真と申します。

ご両親との関係に悩んでらっしゃるとの事ですね。
ご両親から、子供らしく扱われなかったとの事ですが、ご両親は、なぜ、goyagoyaさんを無条件に認める事が出来なかったのでしょうか?そこには、原因があるはずです。普通はご両親とその父母との親子関係に問題があります。その原因に対して、理解を深めれば、goyagoyaさん自身はその原因に振り回されずにすむはずです。今のご両親の態度も、コンプレックスの裏表の様な感じを受けます。

親子関係は、人生最大の課題です。仏様は、無条件に人を認めて下さる。子にとっては、親は無条件に自分を認めてくれる仏様の様な存在のはすですが、人間は未熟です。全ての親は未熟な親で、その親を受け入れるのが子の役割です。

是非、ご両親に対する理解を深め、goyagoyaさんがご両親を無条件に認めてあげて下さい。接しすぎると上手く行かないことが多いので、遠くから見守っているくらいで良いと思います。

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

45歳 独身 銭湯通い 浄土真宗の僧侶だけど、「中観派です」って言ってみたい。 最近は、一日一冊の本を読むようにしている。 毎日本を読んで分ったことは、 「本は高い(お金が無くなる)」です。 ※写真は五年前です。

韓信のまたくぐり

親と不仲だった和尚さんにお越しいただきました。
イメージ:レスラー 
『父親?まぁ、随分ぶつかり合ったぜ。オヤジにはこうであってほしいと思うことが沢山あってね。ところが親父は所詮オヤジなのさ。悪い意味じゃなくて、オヤジの好きなように生きてるだけだってことに気が付いたのさ。それ以来、オヤジに自分の理想を求めなくなったゼ。楽になったよ。あとで気が付いたんだ。❝ああ、最初から俺がオヤジに勝手に自分の理想を押し付けていただけだ❞ってことにね。つまり、オヤジそのものをみてなかったとも言える。リアルタイムの現実のオヤジじゃなくて、頭の中の過去のオヤジや理想のオヤジと勝手に一人相撲していたって事サ、笑えるだろう。そこのアンタ、お前さんのことだぜ?

母親?まぁ、随分ぶつかり合ったぜ。ケンカしない日はねえくらいさ。今日だって16ラウンドに及んだぜ。母親なんてモンは、子供が心配で心配でならねえのさ。だから愛情・心配という名の下に口うるせえことも毒も吐く。子供にとっちゃいいメイワクだがな。おまけに自分たちよりもはるか昔の教育だ。配慮なんてモノあるわけがねえ。愛情をもらったことがねえ?媚売ってくる?オメエさん、そりゃ思い違いってもんだよ。単純にいゃぁ愛情表現が❝昭和❞なのさ。おめえさん、そこが分かってねえだけサ。死んじまった健さんの映画や日活や毒蝮三太夫でも観てみろ。昭和世代なんざ乱暴な言葉ばっかりだ。それが昭和のシンボルなのサ。家族間で「愛してる」なんて言いやしねぇよ。昭和ブランドってなぁそういうもんだよ。昨日もババァ(母親)めがピーピーうるせえからまたもケンカよ。❝ウエットティッシュとってくれ❞って頼んだら案の定、口うるせえこと言うのさ。「すぐにふたを閉めんだぞ」とか。ここでオレは「全くうるせえババぁだ」とか思っても口にしちゃいけねえ。だから、こだわりを捨てて母親の為にも自分を捨てちまうのさ。
母親は「そういう、そういう素直なのがイイねぇ♡」って喜んでいやがったぜ。(笑)
韓信のまたくぐりってやつよ。それができねえようじゃ、両親どころか、家庭だってシアワセにゃしてやれねえ。自分の親を愛せねぇってことはよ、自分を愛せねえってことだからな。自分を愛せなけりゃ、子供だってゆがんじまう。だからおれはその時、こう言ってやったのさ。
「ハぁ~イ♡ ち(閉)めましたぁ~ん♡」ってね。 

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答を頂きありがとうございました。父親の方が特にひどいのですが、両親とも、両親の父母(私の祖父母)が兄弟ばかり可愛がり、自分たちは居場所が無かったと感じていたことが原因かもしれません。ただ、自分がそういうさみしい環境で育ったなら、なぜ自分はそうでない’自分の’家庭を作ろうと思わなかったのか・・・私には分かりません。 幸い、夫も夫の両親もとても良くしてくれます。自分の家庭を大切に過ごしたいと思います。ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ