27歳にもなって自分がよくわからなくなってきました。
最近、自分が何がしたいのか、自分がどう言う人間なのか分からなくなってきました。
私には6歳の娘がいますが、私と過ごす時があまりにもつまらなさそうなのが気になっています。娘が何を思っているのか、余裕が無いからか理解もしてあげられません。
これは、私が怖い顔をしているからなのか、余裕が無くて笑っていないからなのか?色々考えてるうちに自分に自信がなくなってきました。
私は今まで自分の親や兄弟、夫や周りの人たちにとても助けられてきたと思います。その反面自分の力だけで乗り越えた事が無いように思えたのです。ただ、周りに流されてきたような。
いったい、これから私はどんな自分を目指して行ったら良いのでしょうか?
娘に信頼される母親になりたいです。
娘に叱りすぎてはいないか、窮屈な思いをさせていないか心配になります。 マイペースな性格ですが人の評価や、どう思われているか気にしてしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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三十にして立つ、四十にして惑わず
孔子の有名な言葉の一部です。私は十五歳で学問を志し、三十歳で基礎を確立し、四十歳で視野が広がり、あれこれ迷うことがなくなりましたよー…だそうです。ハイ、四十歳まではあーだこーだと迷えば良いんです。だって人間だもの。歴史に名を残す偉人でさえこうなのに、27歳にもなって…というのは逆に自惚ってもんです。
私なんか27の頃はどうだったかなぁと思い起こせば、方向転換の時期でした。修行道場から帰ってきて、さぁ地元のお寺でバリバリ頑張るぞーと思っていたのですが、全然通用しなくて打ちひしがれました。『若い』というだけの理由で、年輩の方がたに話を聞いていただけなかったのです。曹洞宗(ソウ『ト』ウシュウ)という自分の宗派の読みをソウ『ド』ウシュウと間違っている男性がいらっしゃり、ソウトウシュウですよと訂正したのですが、「まぁ、あなたは若いからね。あれはソウドウシュウと読むのですよ」と鼻で笑われました。
屈辱でした。曹洞宗のお寺で育ち、曹洞宗の大学を出て、曹洞宗の大本山で修行して帰って、宗派の読み方1つ信じてもらえない…実力も経歴もヘッタクレも無いじゃないか。昨日出家したようなド素人でも年齢さえあればソッチの方が信用されるのかよ…大学では158単位取得するほど勉強し、修行道場でも誰からも真面目と認められ、頑張ってきた自信があっただけに余計悔しかったのです。
で、どうせ布教方面にウェイトを傾けても通用しないなら、もう少し年をとるまで自己の研鑽にウェイトを戻そう、そのように方向転換したのがだいたい27歳くらいでした。実際は言うほど大した出来事ではなかったのですが、迷走してましたねぇ。でも、それで良かったのです。だって若者だもの。
さて、お嬢さまとのことですが、ご質問文を拝見する限りではいささか内向的に偏っていらっしゃるようにお見受けします。「自分のどこに問題があるのだろう?自分はどうなれば良いのだろう?」ご質問文には自分自分という視点ばかりが見えますが、『娘はどんな人が好きなのだろう』という視点を掘り下げてみてはいかがでしょうか?
こういったことは自分の頭の中で考えても答えは出ません。もっともっとお嬢さまとお話ししてみましょう。「彼を知り、己を知れば百戦危うからず。彼を知らずして己を知れば一勝一負す」です。そもそも子供は子供同士で遊んでいる時が一番楽しいものだとも思いますし。
質問者からのお礼
早速のお言葉ありがとうございます。
確かに私は娘に対して聞くと言うよりは問い詰めていたように思います。自分の不安な気持ちを押し付けていたかもしれません、、、
これからは、もっと視野を広げて娘の色んな面に目を向けて、話を聞いてみようと思います。
そうやってまた、自分も成長できたらいいなぁと思います。
ありがとうございました!