故人に贈り物をすることはできますか
ここ数日どうしても頭から離れないことがあり相談させていただきます。
先週祖母が亡くなりました。
祖母は、数年前私からプレゼントした毛布を大変気に入ってくれていました。
肌身離さず身につけてくれていたようです。
しかし、亡くなる少し前にこの毛布を洗濯していたのですが、
葬儀の直前に無くなってしまい、
納棺の際に一緒に入れてあげることができませんでした。
そのことを悔やんでいます。
今は、代わりの毛布を購入し霊前にお供えしております。
しかし、あちらの世界でも祖母に愛用していただければと思い、
お焚き上げをするのが良いのではないかと考えています。
そこで、質問させていただきたいのですが、
お焚き上げをした物品は祖母へ届くのでしょうか。
また、何か贈り物をするための良い手段はないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
モノは届かなくても、モノに託した心は届きます
お焚きあげを希望される方々は、さまざまな願いを込めて人形や仏像などを送って来られます。その中には、「故人へ贈りものを届けたい」という願いのこもったものもあります。
では、いったい、どうやってあの世へ届けるか?
もちろん、モノ自体は届けられません。そもそも、死とは、あらゆるモノや肩書などから離れ、この世で積んだ善業(ゼンゴウ…善き結果の出る影響力)と悪業(アクゴウ…悪しき結果の出る影響力)のみを抱えて旅立つことだからです。
届けられるのは、モノに託した心です。
私たちが合掌して故人を想う時、電話のように耳で確認できはしません。しかし、問いかけや、安心して欲しいなどの思いの吐露は、応えが返って来るかどうかと関わりなく自然に行われ、そうしたひとときは私たちの精神へ潤いを与えます。たとえ思いが感謝や喜びでなく、哀しみや辛さが伴うものであっても、魂はその人らしい色合いを深めます。
色合いの深まりは、あの世からの贈りものではないでしょうか?
私たちは、モノに託して目に見えぬ思いをあの世へ届ける時、いつしか知らぬ間に、故人からも目に見えぬ贈りものをいただいているのです。これを相互供養と言います。
反対のケースもあります。
なかなか解消できない壁にぶつかって悩んでいる時、ふと、思い出された経典の文章や、もう会えない聖僧方のひとことで、一気に心へ青空が広がったりします。ああ、贈りものをいただいた、供養していただいたと、強く感じます。
ちなみに、当山で修法の最後にお唱えしている祈願文の一つは、江戸時代に活躍された慈雲尊者が遺されたもので、チラッと目にした瞬間に魂へ印字され、毎日、唱えています。
修法後、こうしたご意見をくださる方もおられます。
「『いまだ成仏しない方々に成仏して欲しい』という言葉を聴いてハッとしました。
なかなか決心がつかず、夫のお骨をずっと自宅へ置きましたが、どうぞ、お墓へ入れてください」
あの世からの贈りものに感謝し、経典を読み、ご本尊様や聖僧方へ感謝の祈りを捧げます。先にいただく相互供養もあるのです。
お互いがこの世とあの世と、住む世界を隔てていても、贈りものは確かに届きます。まごころの贈りものをしたい方は、どうぞ、納得できる寺院へお焚きあげをお申し出ください。
よき相互供養となりますよう祈っています。合掌
質問者からのお礼
遠藤御導師
ご回答ありがとうございました。
私は四十九日をかけるという来世への旅路の間、
祖母は祖母自身、つまり生前と同じような精神を持って
あちらの世界に存在しているのだと考えておりました。
気に入っていた毛布が手元にないまま来世を迎えることに
寂しさや悲しみを覚えるのではないかと心配していたのです。
遠藤御導師のお話を伺い、人が亡くなるということは、
私の考えていたものとだいぶ違うようだと承知しました。
祖母は祖母という枠から離れ、もっと広い空間に満ちわたるような
そういう存在になっただと認識を改めました。
私は祖母の気に入っていた毛布を棺におさめてあげることが
できなかった事を悔やんでいましたが、
そのような存在である祖母に対してモノを贈るためには
儀式ではなく、そのモノに込める思いなのだと教えて頂きました。
毛布はしばらく霊前に備えておくことにします。
今後、祖母の供養のためより良いと感じたとき、
お焚き上げを考えてみようと思います。
心の霧が晴れた気分です。
遠藤御導師、このたびはご回答いただきありがとうございました。
重ねてお礼申し上げます。