心と実際の間で。
最近、とても気持ちが不安定です。
心の持ち方を変えなくては…と出来ることを始めようと、お坊さんの書いた本や、ブッタの本、自己啓発の本、写真集や偉人の言葉などを読み漁っています。
例えば、怒りの気持ちを10秒我慢してみましょうとか、普段の生活を見直しましょうとか、あらゆる色々なアドバイスを読んでは実行しようと頑張っています。
でも、そうやって1つ1つの動作に緊張感を持ってるせいか、今まで以上にストレスがかかり、それがあちこち体に出てしまいます。
心が乱れると、食生活も乱れ、家族には手の込んだものを作っていても、自分は菓子パンとか、ごはんだけとか、お菓子で済ませることもあります。
1番治したいところは、すぐにイライラしてしまう事です。接客業なので、仕事中は感情を露にはしませんが、その分些細な事で子どもに必要以上に怒鳴ってしまったり、理由もなくイライラしては甘い物を過食してしまったり…
最後に笑ったのはいつなのか分かりません。
多分、こうして切羽詰まって相談させていただいていますが、その御返事の御言葉も心の奥底では分かっているのだと思います。周囲はそんな私に、更年期だから…と言いますが、そういうせいにはしたくないのです。精神科に行って薬に頼るのも嫌なのです。
心穏やかに、周囲に感謝し、妬み恨みを抱かず、優しく静かに暮らしたいです。もちろんそうならないのは、自分自身のせいだと熟知しています。だから苦しんでいます。
抽象的で矛盾したご相談かもしれませんが、どうか教えていただきますたいです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
恨みを持たない方法
えのりさん、初めまして。前回の質問も拝読させて頂きました。
心を穏やかにするために、色々な本を読んでいらっしゃるのですね。私も見習わなければいけません…。
まず、読書をストップしましょう。
えのりさんが一番お分かりだと思いますが、釈尊が説いたことは、たった一つです。
しかし、どこを大事にするか、どう解釈するかで日本仏教でも宗派が別れていますよね。
hasunohaでも本の作者もそうです。個人が仏教をどう捉えるか、どう人生に反映しているか、宗派の教義から外れないようにするか…だから、読みあさっているだけだと「こないだ理解したことと違う。分からない」となりませんか?
私はお寺の生まれでないので、とにかく苦労しています。浄土真宗の僧侶の本でも、これは○○寄りだから正しい解釈が出来ない等あります。
釈尊について書かれた本を独学で学ぶのは難しいですよ。未だに解釈が分かれていることもありますので、私は疑問に思う度に質問しています。逆を言えば、仏説~とついた御経を寸分の狂いなく理解できたら、それは仏となっているということ。もしもシリーズで、もしもパンクロッカーが仏教を学んだ…みたいなタイトルの本を読んでみて下さい。分かりやすく、悟りがいかに難しく、煩悩をなくすことが本当に人生にとっていいのか考えさせられます。私は、この本を読んで煩悩の必要性を実感し浄土真宗で良かったと思いました。
最後に、怒りや妬みは自分と人を比べるから増大します。全ての感情は自分から生まれます。
なぜ私は怒ってるのか…その理由が情けないものでもどんなにどす黒いものでもいいんです。
私はこんなにも情けないんだと認めないと、目先の深呼吸では効果は薄いと思います。
認めて理解し、釈尊の生き方を手本として意識する…これが仏教的生き方だと私は思っています。自分の原因を探っていくと、人を恨むことはなくなります。全て自分の責任です。
相手の態度を変えることができるのも、自分の人生の見方を変えることができるのも自分だけですよ。
本当に病気なら受診を
欲・怒り・怠け・プライドは悩み苦しみの原因です。
本当に更年期障害や他の病気なら、受診したほうがよいかもしれません。
プライドの煩悩(自分のあるべき姿へのこだわり)が受診を邪魔している可能性はないでしょうか?
毎日、心の中で「欲・怒り・怠け・プライド」と念じて、煩悩をスキャンしてください。
煩悩は、正体を見破られたら力が弱くなる悪魔なのです。
そして、他人への慈悲を大事にしてください。
他人と自分を、かわいい存在だと思うようにしてください。
サッカーのサポーターが全員でゴールを歓んでいる場面をイメージしてください。
そして、全人類がそのサポーターみたいにみんなそろって笑っている場面をイメージしてください。
あなたも、家族も、みんなそのように笑って暮らしてよいのです。