安らかになれることばをください回答受付中
経済、プライベートともに生活の状況が悪く不安が強すぎて、精神科の薬の効果を乗り越えてしまっていて、胃袋が破れそうな不安感に苛まれています
うまくいかないいろんなことにすごく腹が立ち関係している人を非難する気持ちというか加害意欲みたいなものが湧き出てきて止まりません
安らかな気持ちになりたいのでなにかことばで救っていただけませんか
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰かの目に留まり、必ず誰かが返事をします。繋がっていこう。
プロフィールも読ませてもらいました。あなたの置かれている状況、そして身近にも頼れる人や心許せる存在がないという不安は、どれほど心細いかと思います。薬の服用でも落ち着かず、体にも負担になっているようで、心配です。落ちつくどころか、苦しいですよね。
どうして自分ばかりがと嘆きたくなりますし、周りが許せないような気持ちにもなりますよね。とても孤独の中にいらっしゃるように感じて、覆われている氷のような冷たく厚い壁を溶かしてあげたい気持ちです。
繋がっていきましょう。ハスノハでいつでもお便りください。ここは、誰かの目に留まり、必ず誰かが返事をします。あなたは、ひとりではなく、いつだって伸ばした手をつかんでくれる温もりがありますよ。
こうして、話をしましょう。あなたの心に耳を傾けたいわ。
訴えの中に真実の願いが隠れていますね。それがヒントです。
「安らかになれることばをください」というまさとさんの訴え、現状を打破したい切実な訴えとして、受けとめました。言葉は、時に人の心を深く傷つけることもあれば、逆に、暗闇の中に温かい光を灯し、生きる力を与えてくれることもありますね。もし「言葉だけで良い」のであれば、このハスノハには、まさとさんと同じように悩み苦しむ多くの方々の声と、それに応えようとするお坊様方の真摯な言葉がたくさんあります。それらを一つ一つ読むことで、今のまさとさんの心に響く「何か」と出会うきっかけになるかもしれません。
しかし、お薬がそうであるように、言葉もまた万能ではありません。本当に必要なのは、言葉そのものだけでなく、その言葉の奥にある、まさとさんのことを心から大切に思い、寄り添おうとしてくれる人との温かい「ご縁=関係性」なのではないでしょうか?
今、まさとさんが「しんどい」「安らかではない」と感じておられること、それは非常にお辛い状況ですが、同時に、「自分は本当は安らかでありたいのだ」「穏やかな心を求めているのだ」という、ご自身の真実の願いに気づく大切なきっかけにもなり得ると、受け取ることも出来ます。その「真実の願い」こそが、実はまさとさんのこれからの生きる方向性となり得るのです。
その「安らかでありたい」という願いは、実はまさとさんだけでなく、まさとさんの身近な方々も共通して持っている願いなのかもしれません。もしそうだとすれば、まずまさとさんご自身が身近な方々に周りの人に、ほんの一言でも「安らかになれるような言葉」をかけてみることから始めてみてはいかがでしょうか。難しく考える必要はありません。例えば、労いの言葉、感謝の言葉、優しい眼差し…。その小さな「和顔愛語」の実践が、巡り巡ってまさとさんご自身の心にも温かいものを届け、周りの方々との関係性に少しずつ優しい変化を生み出していく可能性があります。
「与えている」つもりが、「いただいていた」。この視点の転換が、安らぎや喜び、再び歩み出す力につながっていく。これは、50代である私自身の実感です。
「安らかになれる言葉をください」という訴えに隠された、まさとさん自身の「真実の願い」に気づき、新たな実践のヒントが浮かび上がる、大切なご相談でした。あなたは、決して独りではありません。またいつでも、あなたの応援団=ハスノハへお立ち寄りください。
自分の中の先走るオレオレ意識を鎮め本来の自己(仏)を取り戻す
・今日も生きているけどオレの意志とは無関係に生命が生きてくれている。呼吸も俺の意志とは無関係に続けてくれている。オレの命にありがとう。
・俺は頑張り過ぎた。頑張り過ぎたのはオレの意志や考えの方であって、オレの生命体はいつも安らかな状態を保とうとしてくれている。俺だけ走り過ぎていた。オレの生命体、俺自身の働きに感謝。
・考えて考えて救われるんなら、いくらでも考えてやる。ところが、どうだ。考えれば考えるほど現実と遠ざかって、脳が誤解を起こして苦しくなる。こっちの苦しい世界はオレが思い描いた俺だけにしか見えない思いの世界だ。もうこっちの思いの世界、アッチの思いの世界はいくら浸っていても救われないということを真剣に見つめよう。帰ってこい、俺自身。この今のここの現実に。
・楽になりたい。楽になりたいんだけど、楽になる方法、間違ってね?楽になろうとしてアクセルふかしたり、ペダルをこげば、浪費すんじゃん、エネルギー。疲れんじゃん、オレの身心。楽になる方法を見つめなおそうぜ。
・安楽、やすらか、しあわせ、ほのぼのした心って、遠くに探しても見当たらない。これも探す方向を間違っていたのかもな。オレの生命の活動はいつもマイペースだ。マイペースなのに、完璧に今日も生きてくれている。クスリ飲み過ぎてごめんな。肝臓や腎臓にも負担かけすぎて、ゴメン。減らしていくよ。
・てか、いくら薬を飲んだとしてもさ、俺自身の心の運転法が自分を苦しめる運転法なわけじゃんよ。薬で治るわけないじゃん。治療すべきは心の暴走運転や危険運転みたいな思考をした後に出てくる症状の方じゃなかった。そっちを薬で鎮めたところで、俺自身の、治ってねぇし、今後もやるじゃん、暴走運転。治すの、そっちなんじゃね?
・何が苦しいかって、思い通りにならないコト。だけどその前に誰にとって思い通りにならないのかを問えば、オレの、俺自身の、オレの中の、オレ。そりゃ、天気一つだって思い通りにはならんわ。
・じゃぁ、この先立つ気持ちの俺を少し黙らせてみようぜ、しゃしゃり出すぎてたわ、俺の身心の中のオレ意識が。これが先にあるから、自分の思い通りにならんと苦しいのか。
・寺とか仏教とかってこのオレ意識を鎮める世界でもあるそうだ。
・なら俺も学んでみよう。
・俺の身心に現れるオレ意識を黙らせるその方法を。
仏の教えの要はその心、オレ意識をおさめるにあり。合掌