私はダメな人間です。
いくら考え方を変えようとしても変わらない……。
どうやったらいいのか分からない。
私以外のみんなが幸せそうに見えてなりません。
そんな事無いのも分かってるし、私が変わらなきゃと焦るばかりです。
気分が落ち込み、周りのみんなに優しく出来ない。
周りから、いつも優しくてニコニコ頑張ってるね。
こう言われる度に、私が私じゃなくなりそうになります。
もう何が辛いのか分からない。
まとまり無くてすいません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他人と比較しない!
条件反射的に、まわりの身近な人と自分を比較していませんか?コンプレックス、自己嫌悪に陥る理由は、他人と比較するからです。まわりの人が輝いて見えていませんか?コンプレックスの塊だから、他の人からの賞賛が、素直に入ってこないんです。まずは、自分の行動を他人と比較しないようにすること。また、周りの目を気にしないことです。多分、何かをする時に回りの人の目を気にしていませんか?また、思惑を気にしていませんか?あんなこと言ってよかったのかしら?あの人、わたしをどう思っているかしら?人の思惑を気にする人生はもういまここでやめてしまいましょう。考えすぎない。考えすぎないためには努力がいりますよ。長年あなたが培ってきた生き方を変えるんだから、2、3年は覚悟してください。ハッキリ言ってあなたは努力不足なんです。不幸な自分にひたっているから、暗いまんまなんですよ。
気持ちが明るくなりように常に、常に努力するんです。最初から明るく楽しい人生なんて夢です。晴れたら今日はいい1日になるぞ!雨が降ったら、お湿りになって野菜が潤う。雪が降ったら、雪景色が綺麗!自分の負のイメージをドンドンプラスに作り変えていくんです。そのうち、あなたの作り笑顔が本物の笑顔にきっと変わり誰からも愛される、もちろんあなた自身からも、愛される人になり。ホントの幸せがえられますよ。必ずそうなるから、試してください。あなたはほんとうに優しい人だから、絶対に幸せにならないといけない。幸せになってもらいたい。あなたの幸せを心から祈っています。浄光寺
駄目な人間なんていません。
私が、かわらなきゃ。。。。 そう思えるだけで素晴らしいです。
駄目と言う言葉は、あえて遠回りする、自分の陣地、立ち位置を見る事 です。
焦らなくて良いですよ。
立ち止まってみましょう。
足元も、今まで見えなかったものもみえてきますよ。
のんびり のんびり のんびり してみても良いのでは有りませんか。
肩のチカラをぬいてみましょう。
ノートに書いてみる
ドラミカさん
初めましてだてりゅうほうと申します。
スパッとした話の方が今は必要かと思いますので
答えさせていただきます。
私もそんな状態になって
プチパニックみたいになってしまうことが
たまにあります。
そんな時は
『現状の頭の中の考えを、ノートに書き出してみる』
ということをいつもしています。
綺麗になんて書けませんよ?
ノートの線も無視したような
ガーーーーーって書き出す感じです。
で、ペンが止まるまで
書いた後に
そのノートを見てみると
自分の現状が
少し冷静に見られるようになります。
文章で書ききれない情報を
YouTubeでまとめてお伝えしてます^^
動画の中の「幸せシリーズ」が
何かヒントになるかもしれません
暇な時、覗いてみてください^^
http://bit.ly/1JXVj41
( ↑ ここからYouTubeに飛べます)
悩みが生まれて
また消えて・・・
お辛いかもしれませんが
ハスノハにいらしゃるお坊さんに
相談しながら
ぼちぼち進んでいきましょうね^^
ドラミカさま
今、お辛いのは、自分はダメと、自分の力を信じて
いないから、自己否定がもとにあるからだと思います。
自分を否定してしまうと、自分の本来の力も隠れて
しまいます。
今のこの状態で言っても真に受けてもらえないかもしれ
ませんが、ドラミカさんは、全然ダメではなく、その真逆
です。
ダメではなく、素敵な、すばらしい本来の自分に
自ら気付いてもらうため、今の辛い状況があるのだと
思います。今の辛い状況がなければ、本当の自分に
出会う機会はないと思います。
本当の自分に出会うこと。これが仏教です。
祖師方の言葉に「須らく見を止むべし」とあります。
見とは、見方、観念、概念で、良いとか悪いとか
これはこうでなくてはならないとか、思い込みなどです。
それらを離れてください、それらの見方、意味づけが
フィルターとなって、本当のことを見えなくしています、
だから、それらを手放して、本質を見届けて下さい、
ということです。
具体的には、日々の生活で、良いとか悪いとか、損得、
きれい汚いを離れて、ただただ目の前のこと、精一杯、
一生懸命に勤めるということです。それは坐禅や公案
と呼ばれるものとまったく一緒です。
ただただ、一生懸命になっていくことで、本当の様子を
また、ご自身にとって大事なことを、自ら気付きとって
いけると思います。
以下、理屈っぽいですけど、何かの参考になればと
思いまして。
Aさんは肥溜めに落ちました。みんなから汚ーいと
えんがちょ鍵しめられました。
Aさんは汚い、と確かに表現されます。
でも本当にAさんは汚いでしょうか?
汚いのは、Aさんの体の周りに付いているものです。
Aさん自身もAさんの体も汚くないです。
因みにAさんの身体は、Aさん「の」身体であって
Aさん自身、そのものではありません。
Aさん「の」身体、容姿、能力、考え、気持ち、意志、
所有物・・・Aさんと呼ばれる範疇のものですが、
Aさんそのものではないです。みんな。
Aさんは泥棒です。
Aさんは悪い人です。と普通は何気に言いますが、
正確には、Aさんは悪い事をした人です。
Aさんそのものは、良い、悪い云々貼り付けるとこ
ないんです。Aさんそのものには、良い悪いを
付けようがないんです。見えない働き、心ですから。
いのちそのものですから。