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人生に迷う

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有り難し有り難し 14

いい加減に仕事をやめようかと思っているけども踏ん切りがつかない・・・
やりたいことはあるけどもどうもうまくいく気がしないから困っています。

どんな人生ならば自分は満足できるんでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

満足できる人生を模索するかぎりそれは見つかりません。

今がどんな状態、状況であろうと、
「今」の自分に満足がいかないかぎり「満足な人生」は見つからないと思います。

幸せは自分の外にはありません。

外の状況をどう受けとめるかの自分の心の中にこそあるのだと思うのです。

例えばの話しです。

病気で苦しいとします。
そんな中、病気と戦って頑張ってくれている自分の体を考えてみましょう。
細胞は病原菌やウイルスなどと戦って多少死滅しながらも頑張ってくれていると思います。
そのような自分の体に感謝して「ありがとう」と言えるとき、
自分の体に対して、体の頑張りに対して、たとえ小さくとも満足の心が生じると思うのです。
そして病気が治ったら、やはり満足が生じると思うのです。

今、生きていて、寝る場所があって、食べるものがあって…小さな満足を探してみて下さい。
不満や不安を探す時間を「小さな満足」「小さな幸せ」を探す時間に変えてみて下さい。

あいさんの中で何かが変わると思います。

季節は真冬です。
どうかお風邪など召しませんようご自愛ください。

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有り難し
おきもち

仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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何としてか世界は輝かしい

近隣のお寺様で、次の代に住職を譲られたら急に老け込んでしまった方がおられます。
24時間は平等です。
そこで「何をするか」ではなく、何をするにしてもそこで「いかにする」か、これが人生のカギであると思うのです。
「どこ」を歩くにしても誰と歩くかで、遠き道のりも楽しくなります。
誰と歩んでゆくにしても、その時間をいかに過ごすか。
同じ仕事をするにしても、同じご飯を頂くにしても、同じお酒を飲むにしても、ぞんざいにすればそれはつまらなくしてしまいます。自分でつまらないものに「して」しまうのです。
それはおそらく自分の都合上の求めや願いが強いと、どんな美食もつまらないものになってしまうのではないかと思います。
親友との酒は安酒でも値段が付けられない美味さがあります。
ツマラナイものにしない為には、人とのかかわりや前向きで明るい気持ち、命が生き生きと喜ぶような在り方が、本心が喜べること大事であるともいます。
だれがこの命を喜ばしいものをしないままに死んでいくために生まれてきたと言えるのでしょうか。
自分の命もだれかの命をも、楽しませる、喜んでいただく気持ちこそが偉大な宗教家たちの目覚めです。
禅ではこれを「喜心」「老心」「大心」といいます。
有り難いことは、どこかに転がっているものではなく、見出す、探す、感じ取る事でどこにでも感じる事ができます。震災で家族を亡くされた方が「海は時に奪うが海によって生かされている」との目覚めを持たれた時、再び漁に向かったという方がおられるそうです。海という家族を奪ったものの中でさえも、生きてゆくための活路を見出されたのでしょう。
今朝がた私はこの大自然の不思議な働きに目を向けていました。畑が凍り付いている事にすら神秘を感じました。
何としてか空は青い、何故かシャボン玉は丸くなる、何故か葉っぱは色を変え、落ちて、新しい命をはぐくむ糧となる。何としてか世界の美しき事でありましょう。
この美しき世界で今日、このひと時をいかに生きるべきでありましょうか。
いたづらに過ごしてはいけないと、常々、自身に言い聞かせております。

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有り難し
おきもち

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ