ケンカ別れした元友人
7年前、ケンカ別れした元友人のことを書きます。
彼女は当時、フリーターと変わらない、その日暮らしをしているような人でした。
でもその当時からずっと、自分自身は何も努力をしないくせに、そのくせ不平不満を言う、典型的な怠け者でした。
でもいつも、美味しい目には合いたいと思っているような狡い人でした(実際、そんな美味しい目になど合えてたためしはありませんでしたが)
そんな彼女の生き方に疑問を持ち、ケンカ別れしました。
一方で私は、16年前に結婚し、今は働き(正社員です)ながら子育てと家事に追われています。
そんな働きづめの毎日、ふと彼女のことを思い出し、イライラすることがあります。
私は、彼女のような、典型的な怠け者が大嫌いです。吐き気がするほど。
そんなぐうたらな彼女にも、平等に生き、モノを言う権利が与えられている日本て、なんて恵まれた素晴らしい国なのだろうと思うのは私だけでしょうか。
彼女の生き方をどう思いますか?
怠け者に、世の中や人に対する不平不満や愚痴を言う権利があるでしょうか。
是非ともご回答をお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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脚下照顧(きゃっかしょうこ)
これはよく禅宗のお寺さんの玄関などに貼られている言葉です。
文字通り『脚元(下)を照らし顧みる』
自分の脚元をよくよく見なさいよ~
ということです。(だから靴を脱ぐ玄関に張られています。)
当たり前ですが、自分を生きているのは常に自分です。
他人が自分を生きているのではありません。
だから自分の立っている脚元を見つめることこそ
自分を生きるうえで一番大切なことです。
悩める子羊さんは人の脚元が気になるご様子。
その人の脚元はその人がしっかりみつめるべきことであって
なにも悩める子羊さんが見つめる必要はないのです。
他人が何を食べていようが、その人の食べたものはその人の胃袋に入るのです。
私の胃袋にはなんの関係もないのです。
そんなことより、自分が何を食べるのか。
ではないでしょうか。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
お礼が遅くなり、申し訳ございません。
そうですね、関係ありませんね。
私は私の足元をしっかり見て歩こうと思います。
重ねて、ありがとうございました。