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他に好きな人ができてしまいました。

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はじめて相談させていただきます、m&mです。

タイトルのとおり、他に好きな人ができてしまいました。

今私は大学受験生なのですが、受験が終わったら付き合う約束をしているAさんがいます。
まだ正式にお付き合いはしていません。

もちろん、その約束をした時にはAさんの事が好きでした。
その約束をした後にBさんと知り合い、仲良くなりました。

Aさんとの約束があるのに、Bさんと仲良くなるうちに私はBさんに惹かれてしまいました。

そんなある日、私はBさんから告白されました。
そこですべての事情をBさんに話したところ、Bさんは身を引く、と言ってくれました。

Bさんも私も、お互いを忘れる努力をしました。でもお互いに相手を忘れることができませんでした。
やはり、私はAさんよりもBさんの方が好きなのです。

Aさんに対しては罪悪感でいっぱいです。でも、こんなのではAさんに失礼なのでAさんとは付き合えないです。

Aさんにはまだ事情を全て話せていませんが、今距離をおいており、受験が終わったら2人の関係(私とAさん)についてちゃんと話し合うことになっています。

なので、そこでAさんに別れを切り出そうと思っているのですが、Aさんには洗いざらい全て話すべきでしょうか?
ちなみに、AさんもBさんも私のことを好きなのはお互い知っています。

私が他の人を好きなってしまったことで振られる相手はものすごく傷きますよね?
でも相手に全て話すことが誠意なのかな、とも思うのです。

このような私はこれからどのようにすれば良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「内に愚にして、外は賢なり」

「内は愚にして、外は賢なり」とは親鸞聖人のお言葉で、仏様がご覧になった真の私の姿は「内面は愚かなのに、外見は賢者のように振舞っている」というお示しです。

AさんよりもBさんが好き。
だからAさんを断り、Bさんと付き合うことがとても自然です。
恋愛とはそういうものですから。

とても単純な話なのですが、それではAさんとの約束を破ることになります。
そうなると、『約束を破る悪い人』になってしまいます。
だから、悩んでいるのです。

誰しも、自分は賢善な人であると思い込み、そのように立ち振る舞います。
しかし、実際の本質は愚禿なものであり、常にそれを隠し装っています。
内心は出さなければ分からないことですから。

Aさんを傷つけてしまう・・・とおっしゃいますが、本心では「誠実な人と思われたい」だけなのではありませんか?
「本当はBさんと付き合いたいけれど、それでは自分が悪く思われる」と心配しているのではないでしょうか?

人とはとても卑しいものです。
恋愛はその最たるものと言ってもいいのかもしれません。
常に誰かを傷つけなくては、自分の幸せは望めないのです。

誠実な人と思われたいならば、何も言わずAさんと付き合いましょう。
素直に生きたいならば、Bさんと付き合いましょう。

その際、Aさんには「ごめん」とだけ伝えればいいと思います。
全て話さなくても全て分かることです。
「伝えることは誠意」と思っているのは、間違いだと思います。
ただ自分がスッキリしたいだけだと知りましょう。

※世の中には、両方ともと付き合うという選択肢がよくあるのだと思います。
同時に付き合うこともあるでしょうし、先にどちらかと付き合って別れてから、もう一方と付き合うということもあります。
恋愛にルールはありません。
誠実な恋愛をしない人を他人は軽蔑しますが、軽蔑したその人も同じ状況になれば、同じようなことをするのです。
私はオススメしませんが、参考までに。

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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

C どちらにもイイ顔しようとしている自分の我欲を鎮める

究極の選択…
Aさんにしようか…
Bさんにしようか…
迷いますね。
いや実はもう一つの選択肢があります。
Cさん、それは自分。
どちらにもイイ顔しようとして迷う自分の我欲に全然目が向いていないという事です。
Bさんとうまくいかなかったからと言って、やっぱりAさんが良かったとか言ってしまう自分を想像してみてください。
Aさんとうまくいかなかったとして、やっぱり自分にはBさんが良かったと後悔する自分を想像してみましょう。
そもそも、あなたはAさんを待たせてしまっている、という事があります。
Aさんは、あなたのモノでも何でもありません。
Bさんだってそうです。
人の子であり、あなたと別々の人格者であり、生命体的には別々の存在です。
彼女らもあなたのアナタで考えていることとはまるで違う事を、それぞれ独自に考えています。
どっちがあなたにとって良いかなど、あなたが一番知っているから答えません。
それよりは、Cである「自分の我欲」に気づくべきです。
その我欲によって人を不幸にさせないことがあなたの選択肢です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
とても貴重なお言葉、ありがとうございます。

しっかりAさんと話をつけてきます。
お忙しいところ本当にありがとうございました。

丹下和尚さま
貴重なお言葉、ありがとうございます。

どちらにもいい顔しようとして、ひどいことをしてしまいました。
こんな自分の我欲と決別できるように、これから努力していきます。

お忙しい中、本当にありがとうございました。

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