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ひとり歩きしている「しっかり者」の評価に困っています

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 学生をしているものです。最近、「しっかりしている」と思われることに少しうんざりしています。

 もちろん、自分の仕事がきちんと評価されているのだと思えば有難くもあることなのですが、過剰に評価されたり、しっかり者というイメージが先行し、期待が重いと感じることがままあります。

 自分のキャパシティがすでにいっぱいいっぱいであったり、苦手な分野での頼み事をされたりした場合も、「時雨さんはしっかりしてるし大丈夫でしょ?」との反応が多く困ります。

 実際は努力やこつこつと積み上げることが苦手で、日々の作業を適当にこなしている面もあり、しっかり者とは程遠いと思うのですが、周りにそう言っても謙遜と受け取られてしまいます。
 それゆえ、このことを周囲に相談することもかないません。

 ぜいたくな悩みとは思いつつも、キャパオーバーしてしまうのが怖くもあり、「実はしっかりしていない適当なわたし」を誰かに理解してほしいという気持ちもあり……

 つまるところ、等身大の評価を得たいのだと思います。自分の努力や能力以上の評価をしてもらうことは心身ともに苦しいです。

 頼られることはうれしいのですが、不当にプラス評価をしてもらうことは、不誠実なことのようで……

 実際、自分で抱えられる以上に頼みや相談を引き受けてしまい、にっちもさっちもいかなくなった思い出も一、二度あります。

 わたし自身と周りのイメージの剥離を埋めることは可能でしょうか。
また、それが不可能であれば、ひとり歩きしているしっかり者のイメージとどのように付き合えばよいでしょうか。

 

2015年1月9日 5:07

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

時雨さん、こんにちは。

「しっかり者」の評価について、悩んでいらっしゃるのですね。

時雨さんはいい人なのですね。とてもお優しい人です。

たしかに、人には時間も資源も限りがありますし、余暇だって楽しみたい。なのに、キャパシティがいっぱいでも、「え・・・あぁ・・・うん、いいよ」と受け入れてしまう私。
苦手な分野での頼み事をされたりしても、「時雨さんはしっかりしてるし大丈夫でしょ?」と勝手に判断されて、(またかー・・)と思いつつ、頑張ってみようかなと判断する。
コツコツと頑張ることがどちらかというと面倒で、わりと適当にこなしている事実もあるけれども、「何かやらかしたとき、実はダメな奴だった・・というレッテルを貼られたくないから、無理をする」「任せてもらえてうれしいから、ちょっと張り切っちゃう。」

違っていたらごめんなさい。わたしにも似たような部分があります。少し、ほんの少しかもしれませんが、お気持ち分かります。

もし、わたしにアドバイスというか、何かお話しできるとすれば、それは、
取捨選択するということです。
それが出来たら苦労しないというお話しかもしれませんが、「あなたが本当にしたいこと」をちょっと考えてみてはいかがでしょうか。
“あの人は器が大きい”と言いますが、たしかに色々と経験を積めば、器は広がります。
しかし、芯がしっかりしていないと、土台がしっかりしていないと、器はコロンと転がってしまう。「あなたが本当にしたいこと」はなんでしょうか。
地に足を付けて生きることができれば、どんな相談を受けても大丈夫な、素敵な女子になれるのではないか。そう思います。
時雨さん、お話ししていただいて、ありがとうございます。

2015年1月10日 12:12
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有り難し
おきもち

「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

いつか色つきの袈裟をちゃんと本当に胸を張って身につけたい

禅の世界では、一応師から認められれば色付きの袈裟を身に着ける事を良しとされます。
本当に本当のところは、自己を見つめて自我・我見を滅して仏心・悟りを得て印可を得てはじめて身に着けられるべきものであったと思います。
(※悟りを否定する和尚もいますが、それではお釈迦様も否定することになるし、真剣に師家の元で参究してもいない内から努力することを嫌って都合のいい学説を採用し安易に否定している僧がいるだけである様に感じます)
まだその資格のかけらもなかった少年時代、師に代わって檀家さんのお宅へ棚経といってお経をあげに回っていた頃のことでした。
資格は無いながらも、師の代務という事で❝借衣(しゃくえ)❞というカタチで色のついた袈裟をつけて行きなさいと言われました。
私はその色付きの袈裟をつけるのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
身に着けられるような資格がなかったからです。だからちゃんと身に着けるに恥じないようになろうと思いました。
十年後、本山の修行時代のことです。
後輩のコンちゃん(仮名)が海外のお寺へ研修に行きました。
そこではきちんと悟りが重宝されていて坐禅を通じて身心脱落(悟り)をして、師に見解を示して是とされなければ、色の袈裟をつける事はできないそうです。
ですから色付きの袈裟をつけている人はちゃんと自己を明らかにした❝禅マスター❞なのです。
日本の慣習のまま何となく色袈裟をつけて海外にいったコンちゃん(仮名)は現地の僧から「OHアナタハ悟ったヒトですねー」と敬われた時「あっ、いやッ!、日本では違うんですよッ!」と正直に言ってしまったそうです。
さらには悟っていないのに色の袈裟をつけてきたことを深く恥じたと語ってくれた時、悟りを求めようと求道心を熱くした同年代の僧の発言に私は涙が出そうになりました。
私はそれ以来コンちゃんはいつか立派な和尚さんになると敬い、後輩でしたが、法友として敬いの気持ちを持ちました。
色の袈裟とは僧堂に行って一年半修行すればOKというようなものであってもいけないと私は感じています。
結論:つまり、その道、その道で、本当に評価されるべく、あなた、しっかり精進しなさい、です。
互いに、自分で本当に力をつけて、他人の評価に恥じない中身を身に着けるべく本気を出しましょう。
自分を低く評価することの方がもっと良くないです。

2015年1月18日 23:20
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

人の目や言葉を気にするか否かが問題

本当は答えは簡単なのです。
時雨さんが、自分でありたいように「しっかり者ではない自分」として自由に振る舞えばすむ事なのですが…、

それができないのは、おそらく自分の中に
「しっかり者と見られていたい」…という思いがあるからなのではないでしょうか?

もしかしたら、ご自分をさらけ出す勇気がないのかもしれません。

自分の弱さをさらけ出して生きると言うのは、実はかなり勇気が必要なのではないかと思います。

全ての人には無理であっても、気の許せる親友とか家族とかに、自分の弱さをさらけ出せる人がいるのであれば、凄く気持が楽になると思います。

まずは、自分の気持を今一度見つめてみて下さい。

2015年1月9日 13:31
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有り難し
おきもち

仏道に入門して30年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

「他人の目・評価・顔色を気にする」問答一覧

他人の目や、他人の言葉が気になる

昨年の冬から仕事をし始めたのですが、そのころから他人の目や言葉が気になり始めました。 それまでは体調が悪かったこともあり、出かけるのは買い物に行くくらいだったので、外出先で人目を気にすることはあまりありませんでした。 しかし、仕事を始めたころのある朝、大勢の人たちが行きかう中を出勤していたら、知らない人からすれ違いざまに自分に対して外見についての悪口を言われたように思い、その日一日中暗い気持ちでした。 その後、出勤時ではない、普通の買い物の時にもそのようなことを言われたことが何度かありました。 家族にその話をすると、「実際に外見のことを言っているんじゃなくて、偶然そう聞こえただけじゃないか」とか、「他人と目を合わすのが嫌な人が目が会ったから変なことをいっただけかもしれない」と言われました。 そうかもしれないのですが、実際に自分には、自分の外見に対する言葉に聞こえて落ち込みます。 そのほかにも、よその子どもたちが私を見て逃げていったように思えたことも何度かありました。 外出する際には、自分のできる範囲でおかしくない外見に整えているつもりですが、だんだん何か言われるのが怖くなく、下を向いて歩くことが多くなってしまいました。 他人の目や、他人から何か言われる言葉が怖くて、外ではびくびくしています。 このまま下を向いて歩いていた方がいいでしょうか。 それとも、何か言われても気にしない心を養うべきでしょうか。 何かご助言いただけましたら幸いです。 どうぞよろしくお願い申し上げます。

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人の目が気になって仕方ありません

私は今1歳10ヶ月の子を持つ母親です。 出産してから、人の目が気になってしまい仕方ありません。 祖母や母が人目や世間体を気にする人だったので私もそうなったのか、もともと人目は気になる性格でしたが、いい意味で自由にじぶんが正しい、心地いいと思う生き方をしてきました。 でも子供が産まれてから、「母親というものは!」みたいな意識が強すぎるのか、人目が気になりすぎて外に出るだけでストレスがかかってしまいます。 服装や髪色まで「母親」らしい感じに変えてみたり、なんだか常に 「あんな母親であの子が可哀想」と思われてるんじゃないか??と思ってしまいます。 特に派手な見た目でも無いし、人前で子供に怒鳴ったりしてるわけでももちろんありません。 でも、そう思われてるんじゃ無いか? 良い母親に見えているか? という事が本当に気になってしまいます。 あのお母さんみたいに常にニコニコ接してあげれてないな… とか、 あのお母さん優しそうな雰囲気だな… とか…。 結局は自分の劣等感なのでしょうか? 私は高校生の時に父を亡くしてからか、 どうせ私は…。 私の人生は不幸ばっかり。 やっぱり自分は幸せになれないんだ。 なんで私ばっかりこんなに苦しいの? という考えを持ってしまっていました。 こんな考えを持ったまま生きるなんて 父にも申し訳ないと思うのですが、中々長年の心の癖なのか、抜け出せません。 前向きに生きよう!と色んな本を読み漁ったり考え方を変えよう!変えよう!としてもやっぱり少し嫌な事があったりすると引きずり戻されてしまいます。 どのような心構えでいれば、必要以上に劣等感を持つ事なく、人と比べず人目が気にならなくなるでしょうか? 本当に生き辛いですし、このままでは子供にも影響しそうで怖いです。 助けてください。

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可愛い子と比べられる

こんにちは。6月の折、皆様どのようにお過ごしでしょうか。今回も、愚痴のようなご相談になってしまいますが、何卒最後までお読み頂けると幸いです。 4月から一年間の研修が始まりました。研修はグループで回り、女性は私を含め2人です。もう一人は、アイドルにスカウトされたこともある容姿がかわいい子です。性格も素直で女の子らしくおっとりして、愛嬌があります。彼女は、顔も不細工で要領も悪い私にも優しく、その子自身のことは嫌いになれません。 しかし、4月から、周囲からの扱いの差が見える度、心を少しずつ削られているように感じるのです。 グループの他の男性たちは、グループをさらに分けるとき彼女となることを「当たり」、私となることを「はずれ」と言っていました。彼らは私に聞かれていると思っていなかったのでしょうが、悲しい気持ちになりました。 男性上司の対応は特に露骨です。体調不良を理由に彼女がお休みした時には「大丈夫?」「心配いらないからね」と言っていたはずなのに、私が熱で早退しようとした時には「体調管理もできないなんて社会人としてありえない」と怒られ、結局残業までしてからの帰宅でした。 上司から何か聞かれた時には、彼女が間違えたり答えられなかったりしても「可愛いから許しちゃう」と言われるのに対し、私は「こんなことも知らないのか」と呆れられたりします。彼だけならば我慢もできるのですが、どこに行ってもそうで、気が滅入ってしまいます。 最初の頃は「問題は自分にあるのだから、努力しなければ」と躍起になっていました。 しかし先日、皆が羨むような研修の選考があり、試験の点数は私が高かったにも関わらず彼女が選ばれ、流石に落ち込んでしまいました。面接でやる気を認められたとのことだったのですが、前々から関係者にコンタクトを取り行きたいという意思を伝えていたそうで、学力での選考の前に既に決まっていたようなものだった、と聞きました。期待してくれていた親もがっかりさせてしまい、努力しても意味ないじゃないか、と最近では何も手につきません。 不細工の僻みであることは重々承知の上です。ようやく叶った夢の職種で、今から転職したり、不貞腐れて輪を乱すようなことも、したくないと思っています。 ただ、生まれ持った容姿や性格を背負っていかなければならない人生に対する、この虚しさをどうしたらいいか、是非ご教示下さい。

有り難し有り難し 23
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書いた小説への批難、拒絶。

以前からとても悩んでいる事があります。 私は小説を書いています。 小説の内容は様々ですが、メインは二次創作の夢小説というジャンルです。 夢小説というのは、アニメや漫画の版権キャラクターと、自分が考えたオリジナルのキャラクターの交流を書く二次創作で、好き嫌いがとても別れる分野になります。 好き嫌いが別れるのだから、否定されたり拒まれてしまうのは仕方がない。 いつもそう思って書いていますが、否定されてしまう事が本当に多いので、苦しくなる時があります。 否定する方々からすれば忌むべき作品であったとしても、書いている私は愛情を込めて書いております。 自分が考えたオリジナルキャラクター、自分が考えた物語、それを形にする為に、時には寝る間を惜しんで書いてきました。 そうして書き上げた作品が、その方々の好き嫌いで判断され、ひどいときは叩かれてしまう。 この世界は女性が多く、気難しい方もたくさんいます。 作品への解釈等が少しでも違うと叩かれてしまったり、無視されてしまいます。 表向きは好きに書いて良いと皆さん言っておりますが、本当はそうじゃありません。そういう空気なのです。本当に苦しいです。 苦しいという事すら告白できないのが苦しいです。「好きで書いてるのだろ」と叩かれてしまうからです。 この世界では、支持を得られなければ発言する事も許されません。そういう空気なのです。 そういった中で書いていくのは本当に苦痛で、本当に苦しくて「これを投稿しても大丈夫かな?」と怯えるようになりました。 せっかく書いた作品をそのように扱わなくてはいけない、それが本当に嫌で、この世界から離れた場所から夢小説を書くようになりました。 それでも否定されてしまう事があります。離れた場所に移動しましたので、交流は減りました。孤独感に苛まれる事があります。 もちろん、私の作品を読んで下さる方や応援して下さる方、そして友人も数える程度ですがいます。それを励みに今も書いています。 ただ、好き嫌いが別れてしまう夢小説だから、そういう理由で様々な事を我慢しなくてはいけないのが本当に苦しいです。 読みづらい文章になっていたら申し訳ありません。 こうした内容をこちらで相談するべきではなのかもしれませんが、この気持ちをどうしていけば良いか困っております。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

勝っても負けても辛いです。

私はモノづくりが好きです。以前、一生懸命作って自分でも納得のいく作品ができたのでコンテストに出したことがありました。 ありがたいことにたくさんの方に見ていただき、たくさん感想を頂けたのですが、嬉しい言葉に混じって聞こえてきた悲しい言葉にとても動揺してしまいました。 それは以下のようなものです。 『あんなものを見せられたら自分が作ったものが恥ずかしくなる』 『努力する事が虚しくなった』 いずれも、私より知識やキャリアのある方からの言葉で、それ以来何をするにしても『自分が何かしらの成果や結果を出すことで、誰かの拠り所を奪っているのではないか』という考えが頭から離れなくなり、素直に作品を披露したり、作品について話すことが出来なくなりました。 また一方で、私自身うまくいかない時に仲間が先にスキルアップしたり、いい評価をもらっているのを見ると『自分が努力しても一生追いつけないかもしれない。』『私が頑張れる場所はもう用意されていないのかもしれない』と思い詰める事もあります。 どちらの立場も葛藤も身をもって感じているがゆえに、作ること、感じること、考えること全てが辛く窮屈です。 気持ちよくモノづくりできるようになるためにアドバイスいただければ幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

どうしても人目を気にしてしまいます

人目を気にするクセが治りません。自分を認めることが出来ず、長所を信じることも出来ません。他人からは繊細で傷つきやすいとよく言われます。小学生くらいまではそれほど自分自身の性格について深く悩むことはなかったのですが、中学生のころから自分を卑下し、認められなくなりました。そのままの自分を大切に出来なく、成績などで自分の価値を測るようになってしまいました。加えて完璧主義な私はテストも100点でないと満足できず、大人になっても少しの欠点も許せなくなりました。こう言ってはいけないかと思うのですが、家族とケンカするたびにお前はダメだと言われ、そうなんだ。ぼくはダメ人間なんだと思うことが増え、してはならないと思いつつ10回近くの自殺未遂を犯しました。本を読み、仏前でお経をあげ、料理や洗濯、風呂掃除などやれることはやっているのですが、トラブルのたびにお前はダメだと言われるので自信を失ってしまいます。人目を気にすることを前向きに捉える方法はないでしょうか?また、自分に自信をつけ、楽な気持ちで過ごせる方法はないでしょうか?16年間ネガティブな人生を生き続けた私がポジティブな生き方をするために何をしたら良いのでしょうか?教えてください。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

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