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ひとり歩きしている「しっかり者」の評価に困っています

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 学生をしているものです。最近、「しっかりしている」と思われることに少しうんざりしています。

 もちろん、自分の仕事がきちんと評価されているのだと思えば有難くもあることなのですが、過剰に評価されたり、しっかり者というイメージが先行し、期待が重いと感じることがままあります。

 自分のキャパシティがすでにいっぱいいっぱいであったり、苦手な分野での頼み事をされたりした場合も、「時雨さんはしっかりしてるし大丈夫でしょ?」との反応が多く困ります。

 実際は努力やこつこつと積み上げることが苦手で、日々の作業を適当にこなしている面もあり、しっかり者とは程遠いと思うのですが、周りにそう言っても謙遜と受け取られてしまいます。
 それゆえ、このことを周囲に相談することもかないません。

 ぜいたくな悩みとは思いつつも、キャパオーバーしてしまうのが怖くもあり、「実はしっかりしていない適当なわたし」を誰かに理解してほしいという気持ちもあり……

 つまるところ、等身大の評価を得たいのだと思います。自分の努力や能力以上の評価をしてもらうことは心身ともに苦しいです。

 頼られることはうれしいのですが、不当にプラス評価をしてもらうことは、不誠実なことのようで……

 実際、自分で抱えられる以上に頼みや相談を引き受けてしまい、にっちもさっちもいかなくなった思い出も一、二度あります。

 わたし自身と周りのイメージの剥離を埋めることは可能でしょうか。
また、それが不可能であれば、ひとり歩きしているしっかり者のイメージとどのように付き合えばよいでしょうか。

 


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

時雨さん、こんにちは。

「しっかり者」の評価について、悩んでいらっしゃるのですね。

時雨さんはいい人なのですね。とてもお優しい人です。

たしかに、人には時間も資源も限りがありますし、余暇だって楽しみたい。なのに、キャパシティがいっぱいでも、「え・・・あぁ・・・うん、いいよ」と受け入れてしまう私。
苦手な分野での頼み事をされたりしても、「時雨さんはしっかりしてるし大丈夫でしょ?」と勝手に判断されて、(またかー・・)と思いつつ、頑張ってみようかなと判断する。
コツコツと頑張ることがどちらかというと面倒で、わりと適当にこなしている事実もあるけれども、「何かやらかしたとき、実はダメな奴だった・・というレッテルを貼られたくないから、無理をする」「任せてもらえてうれしいから、ちょっと張り切っちゃう。」

違っていたらごめんなさい。わたしにも似たような部分があります。少し、ほんの少しかもしれませんが、お気持ち分かります。

もし、わたしにアドバイスというか、何かお話しできるとすれば、それは、
取捨選択するということです。
それが出来たら苦労しないというお話しかもしれませんが、「あなたが本当にしたいこと」をちょっと考えてみてはいかがでしょうか。
“あの人は器が大きい”と言いますが、たしかに色々と経験を積めば、器は広がります。
しかし、芯がしっかりしていないと、土台がしっかりしていないと、器はコロンと転がってしまう。「あなたが本当にしたいこと」はなんでしょうか。
地に足を付けて生きることができれば、どんな相談を受けても大丈夫な、素敵な女子になれるのではないか。そう思います。
時雨さん、お話ししていただいて、ありがとうございます。

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臨済宗妙心寺派 陽岳寺 住職 1985年生まれ。 東京都江東区深川出身・...
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いつか色つきの袈裟をちゃんと本当に胸を張って身につけたい

禅の世界では、一応師から認められれば色付きの袈裟を身に着ける事を良しとされます。
本当に本当のところは、自己を見つめて自我・我見を滅して仏心・悟りを得て印可を得てはじめて身に着けられるべきものであったと思います。
(※悟りを否定する和尚もいますが、それではお釈迦様も否定することになるし、真剣に師家の元で参究してもいない内から努力することを嫌って都合のいい学説を採用し安易に否定している僧がいるだけである様に感じます)
まだその資格のかけらもなかった少年時代、師に代わって檀家さんのお宅へ棚経といってお経をあげに回っていた頃のことでした。
資格は無いながらも、師の代務という事で❝借衣(しゃくえ)❞というカタチで色のついた袈裟をつけて行きなさいと言われました。
私はその色付きの袈裟をつけるのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
身に着けられるような資格がなかったからです。だからちゃんと身に着けるに恥じないようになろうと思いました。
十年後、本山の修行時代のことです。
後輩のコンちゃん(仮名)が海外のお寺へ研修に行きました。
そこではきちんと悟りが重宝されていて坐禅を通じて身心脱落(悟り)をして、師に見解を示して是とされなければ、色の袈裟をつける事はできないそうです。
ですから色付きの袈裟をつけている人はちゃんと自己を明らかにした❝禅マスター❞なのです。
日本の慣習のまま何となく色袈裟をつけて海外にいったコンちゃん(仮名)は現地の僧から「OHアナタハ悟ったヒトですねー」と敬われた時「あっ、いやッ!、日本では違うんですよッ!」と正直に言ってしまったそうです。
さらには悟っていないのに色の袈裟をつけてきたことを深く恥じたと語ってくれた時、悟りを求めようと求道心を熱くした同年代の僧の発言に私は涙が出そうになりました。
私はそれ以来コンちゃんはいつか立派な和尚さんになると敬い、後輩でしたが、法友として敬いの気持ちを持ちました。
色の袈裟とは僧堂に行って一年半修行すればOKというようなものであってもいけないと私は感じています。
結論:つまり、その道、その道で、本当に評価されるべく、あなた、しっかり精進しなさい、です。
互いに、自分で本当に力をつけて、他人の評価に恥じない中身を身に着けるべく本気を出しましょう。
自分を低く評価することの方がもっと良くないです。

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人の目や言葉を気にするか否かが問題

本当は答えは簡単なのです。
時雨さんが、自分でありたいように「しっかり者ではない自分」として自由に振る舞えばすむ事なのですが…、

それができないのは、おそらく自分の中に
「しっかり者と見られていたい」…という思いがあるからなのではないでしょうか?

もしかしたら、ご自分をさらけ出す勇気がないのかもしれません。

自分の弱さをさらけ出して生きると言うのは、実はかなり勇気が必要なのではないかと思います。

全ての人には無理であっても、気の許せる親友とか家族とかに、自分の弱さをさらけ出せる人がいるのであれば、凄く気持が楽になると思います。

まずは、自分の気持を今一度見つめてみて下さい。

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仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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