痛いおばさんになるくらいなら
24才、社会人女です。
私はとても見栄っ張りです。
人の目をとても気にします。
私の会社には40過ぎの独身女性がいます。
その人は悪い人ではないのですが、自分の話、もしくはオチも面白くもない自分の親戚の話ばかりします。
また、自分が注目されることがあると、とても嬉しそうにしています。
私の目にはとても滑稽に見えます。
アラフォーの独身女性というのはただでさえ"痛い"と思われがちなのに、その行動によってさらに滑稽に見えてしまうのです。
ですが、残念ながら私も同様の性質なのです。
普段注目されない分、目立ちたい、注目してほしいという欲求が表面に表れてしまいます。
私は男性不信でモテないので、一生一人で生きる覚悟が必要かもと思っています。
子供も愛せる自信がないので産みたくありません。
それで自分がアラフォーになった時、これと同様に滑稽な様を晒してしまったら、私はもう消えて無くなりたくなると思います。
そんな姿を晒すくらいなら、若い内に死んでしまった方がいいとすら思います。
家族以外に誰にも気にかけられない、必要とされず陰でバカにされる人生なんて意味があるのでしょうか?
惨めな思いをするだけなら私はもう死んでしまいたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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比較の幸せはむなしい。
人間はすぐ比較します。
自分とあいつ。自分と平均。自分と過去の自分。
比較して、自分のほうに天秤が傾いたとき人は安心や幸せを感じます。
対して向こう側に天秤が傾いたとき、人は不安や不幸に感じるものです。
しかし、この比較法では
一生幸せになりえません。
比較するたび、一喜一憂しなければなりません。
真の幸せは
比較で得られません。
蛸は足8本、
いくら蛸がイカと比べて
『2本足りねぇや』
と嘆いても、仕方ありません。
仮に2本増えても8本の方が動きやすかったなぁ。
てなもんでしょう。
こんな蛸みたいに考えてたらほんとに、死ねまで幸せを感じれないのです。
蛸は蛸のままでいいのです、
イカは10本でベストなのです。
人に惨めと笑われようとも、
私は私でいいのです。
比較を超えたところにほんとの幸せがあるのです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
自分なりの幸せを見つけるということでしょうか?
未熟な私にはまだ想像もできません。
惨めと思われてもいい幸せとは一体何なのでしょう。
年を重ねれば分かるのでしょうか。
とりあえず分かるまで生きてみます。