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移動先で頑張るか、実家に戻るか悩んでおります。

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両親の具合が悪くなり、どちらも要介護です。
現在、父は実家でホームヘルパーなどの力を借りてようやく生活ができる状態で、母は入院中ですがこのまま入院させるのもどうかという状態です。

かといって戻しても両親共倒れになりかねません。夫婦仲は正直悪いです・・・。父も母も目を患っており体力にも心配があります。

現在京都におりますが、一緒にやっていた友人と分かれる事になりました。お世話になっておられる方が本格的に農業をしたいという話があり、期待しております。まだ農業をするのに実力が伴ってないので研修を考えております。その方は私の両親が要介護であることをしっており心配しておられる状態です。

板ばさみの状態でこれからどうするか考え中です。このまま京都にとどまって農業研修を受けるなどして力をつけて、その方と一緒に頑張るかそれとも戻って両親の面倒をみつつ就職先を探すか・・・。このところいろいろ考えてばかりで気分転換しようにも考えている状態で私自身まいっているところがあります・・。どうか私にアドバイスをよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まず、状況とご両親の気持ちを冷静に把握しては?

ご両親が要介護との事ですね。
ご両親は痴呆症などの発症が無く会話はちゃんと出来る状態なのでしょうか?

もし、意識はしっかりとしていてちゃんと会話が出来るのであれば、
まず、ご両親のそれぞれから、どうしたいかをしっかり聞き取る必要があると思います。

ご夫婦が不仲と言う事ですが、もしかしたら必ずしもそうではないのかもしれません。

要介護という決定が降りていると言う事はご両親の地域の担当のケアマネージャさんもおられると言う事ですね。
まず、ケアマネージャさんからも話しをしっかりと聞く必要もあると思います。

そして状況的に可能であれば、貴方が持っている希望も出来ればご両親に打ち明けてはいかがでしょうか?
もし、今 貴方が仕事の基盤も持たずご両親の介護に入るとすると、
両親の元で 家で出来る仕事か、時間に関して理解がある職場をみつけるかしかないと思います。

そうなるとご自分の希望の仕事を模索するなどということはかなり難しい事になってしまうと思います。
ご両親やケアマネージャさんとしっかりと話合えば、何か良い方法があるのかもしれません。

自分の老後の世話のために子供の希望を犠牲にしたいと思う親は少ないと思います。

まずは、しっかりとした状況の把握をしてはいかがでしょうか?

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個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

親が望むことはあなたが仕事を捨ててまで戻る事なのかどうか

正直さほどやる事はないかと思います。
今の時点では。
一日中つきっきりになってまでやる事が何かあるわけでもないと思うのです。
その辺のところを突っ込んで話し合ったほうが良いと思います。
親孝行って、側にいて自分の人生を台無しにする事でもありません。
かといって、遠隔地にいて何かしてあげらる事と言っても限られています。
ご実家の状況を今の関係深き方々にお伝えして1週間ほど戻って様子を見てはいかがでしょうか。
今あなたにとっても一番大事な時期です。
親元で学ぶべきこともありましょうが、そこでしかまなべないこともあります。
大切なのはちゃんと老後の生活も含めた話し合いです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。ケアマネージャーの方は本当に良い方で親身になって世話をしてくださっております。
両親ですが、「まかせる」みたいな事を言っております。両親とも意思の疎通は可能ですが、父が精神的にまいっていて無気力状態です・・。
私自身も犠牲になるつもりはありません。ですができる限りの事はしたいとは考えております。
正直どうなるかわかりませんが悔いのないようにはしたいしします。

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