愛猫の死との向き合い方
愛猫の最期について後悔に苛まれています。
私が大学生のときに拾った子猫で、拾った時点で感染性の血液の病気であることはわかっていたのですが(発病はしていない)大切に育てていました。しかし、私が転勤族な現夫と結婚することになり、猫は実家に預けたまま離れることとなりました。とても寂しがりで人にくっついて寝るのが大好きな子だったのですが、実家では病気を先住猫にうつさないように夜は1匹の部屋で過ごしていました。
それから10年近く実家で元気に過ごしていたのですが去年病気が発病し全身に癌が広がり先日、肺に水が溜まって亡くなりました。
亡くなる前日の夜は私が実家に泊まり夜通しそばにいてあげられたのですが、亡くなる日の晩は私も授乳中の子どもがいたため自分の家に帰っておりました。朝一で駆けつける予定だったのですが、早朝に猫の部屋を覗いた母から「ダメだった」との連絡が入りました。
実家に預けられてからも私に人一倍甘えてくれており私を本当の母のように求めてくれていた子だったのに、娘が生まれてからはあまりかまってあげることができず、最後の最期もひとりぼっちで死なせてしまいました。肺に水が溜まっていくのは水の中で溺れながらどうにか少し息をするような苦しみだそうです。数日かけてどんどん息ができなくなっていく恐怖に最期は独りでどんな思いだっただろうか、私がせめてそばにいてあげられたら少しは安心できたのではないか、最期に私に助けを求めていたのではないかと悔やんでも悔やみきれません。
普段は考えないようにしていますが、ふと彼女の苦しみや寂しさがフラッシュバックのように鮮明に頭の中を埋めつくし、吐き気をもよおすような悲しみが襲います。
「最後苦しむ姿をあなたに見せないようにしてくれたのかも」とも言われましたが、死の前日も彼女は別れ際私にすがるような目をしていましたし、大人になっても赤ちゃんのような甘えん坊だったので、それはないと思ってしまいます。
彼女は幸せだったかそうでないか、魂は苦しみから解き放たれただろうか、来世も苦しんでしまわないだろうか、そのような考えと後悔と愛おしさとがごちゃまぜで、どのように彼女の死と向き合い消化していけばよいかわかりません。
僧侶の皆様に道筋を少しでも教えていただけると幸いです。
有り難し 50
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