ペットを失ってから気づいた
二日前ペットを亡くしました。15歳でした。とても好きだったのですが結婚してから逢いにいくことを避けていました。理由は母の実家が汚すぎること、老いていく姿を見るのがこわかったこと、自分のやりたいことを優先してきたこと。
亡くなって、気がつきました。
自分がやりたいと思っていたことは、あの子の命と比べたら何にもならないこと。音楽や芸術が好きでそれらに夢中になりましたが、心の底では音楽も芸術も私をやすらげてはくれません。
会いに行けば喜んで飛び跳ねるあの子の姿こそが私が愛すべきものでした。
あの時、会いに行っていれば。
毎日会いに行っていれば。
そのことばかり考え、
自分の選択は何もかも間違っていた。
芸術も音楽も文学も私を救ってくれない。
目の前にあることを大事にできなかった。
なんて愚かなのかと思います。
愛犬と向き合うことに逃げてきました。逃げてきたツケの大きさがあまりにも大きすぎ、自殺を考えます。
今まで自分なりに一生懸命自分を愛そうと思って生きてきましたが他人も愛せず、友人もおらず、
旦那が落ち込んでいても共感してあげられず、
つまらないだのくだらないだの心中思い、
そんな旦那は、愛犬を亡くした私を心配してくれます。
私は本当に生きるということがわからないどうしようもないやつで、
自分自身に吐き気がします。
生きていたいような気もしますが、
死んだ方がいいだろうという気がします。
もうあの子に会えない、
なぜあんなくだらない友好関係を優先したのか、
なぜくだらない読書を優先したのか、そのことばかり考えてしまいます。
どうか助けてください。
虐待を受けて育ちました。 アダルトチルドレン という性質を持っていると思います。
芸術の才能を持っているひとに嫉妬をいだいてしまいます。男性恐怖症です。とくに、一部の系統の男性(高圧的、乱暴)に強い怒りをいだきます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死んでください
いや、殺してください。自己中心的だった過去のご自身を。そして生まれ変わってください。
生まれ変わった暁には、自分だとか他人だとか、余計な捉われの無いこころで、貴女が一番に「愛したい」何かへ全力で気持ちを向けてください。
貴女を助けることができるのは貴女自身なのです。先ずは自分を認めてあげてください。自分を大事にできない人に、本当の意味で他人を思い遣ることはできませんから。
貴女の愛するワンちゃんは「笑顔で居る貴女」が大好きなはずですよ(^^)
ゆっくりで良いので、焦らず一歩一歩、自分なりのテンポで、今日を明日を、過ごしていってくださいね(^^)
質問者からのお礼
自己中だった自分を殺す、捉われのない心で、愛したいものを愛する。お言葉ありがとうございます。
わたしは本当に自己中心的な、恐ろしい人間に変わっていました。自分では必死に生きてきたつもりでしたが、すぐ近くにあった命を大切にせず、自分のことばかりに気を取られておりました。失ったものは大きすぎます。いまは世界のなにもかも色あせて見えます。自分のことを毎日責めてしまいますが、あの子と笑って遊んでいた時のように 笑顔でまた笑えるようになることを目指して 少しずつ暮らしていこうと思います。ありがとうございます。