罪悪感に苛まれます。
仕事の中でパソコンを使った私的利用をしてしまいました。
動機としてはシフト作成のために、プライベートのイベントの日程を確認するためですが、当然してはならないことだと思っており、クビになるのではないかと後悔しております。
気持ちを入れ替えるためにはどういう考え方をすれば良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人はつらいとき、はじめて大事なことを学んでいくもの。
拝読させていただきました。
この世に100点の人はいません。
なぜ?そう言えるのか?
赤ちゃんは何度も立ちあがろうとするたびに転倒します。しかし、またそれでも立ち上がろうとします。
それは何故なのか?
転倒したことを失敗と捉えることで、どうすれば転倒しなくなるのかを考えます。これが学びです。
釈迦はこのように説いてくれます。
「人間の最大の名誉は、決して倒れないことではない。倒れる度に起き上がることである。」
この説法は、個々によって捉え方は変わりますが深奥です。
わたしたちは、事の内容は変わるものの失敗を行います。学んでいてもです。しかし、なぜ同じことを繰り返してしまうのか?を考えるだけでなく、どうすれば改善できるのかを考えていくことが大切なのです。
やってしまったことは、りょうさんは反省を十分にしています。しかし、また繰り返すのではないのかと不安が襲来してきています。
普段通りの日々に戻ったときに、今 抱えている「大きな不安」や「後悔」を軽んじないように少し振り返ることです。
『塵も積もれば山となる』は、仏教の経典のお言葉ですが、"善も悪"も少しずつでも蓄積していくことで、心は どちらにも貯金されます。
『善は急げ』も、釈迦の言葉です。その言葉の後にこのように説いています。
『善は急げ。善を為すのにノロノロしていれば、人は悪を楽しむようになる』と説いてくれています。
例えば、ダイエットをしようと思い立ったが、明日からでいいかと自身に甘えを言い聞かせると、明日はいつまでも明日となりダイエットから遠ざかる自身を堕落させる方向へと自然と導きだしてしまいます。
今回の後悔となる私的行為を掻き消すには、善は急げ同様に近くの先輩に素直に謝罪する。(食事などのときなど、時と場所を選んで)そうすることで、先輩などは叱ってくれたりするものの、理解ある人は「こいつ素直な奴だな」と、かえって信用に変わることもあるものです。これが世にいうピンチがチャンスに変わる境目となります。
大変とは大きく変われるときとして邁進していきましょう。
大丈夫。変われます!
合掌
質問者からのお礼
ご返信ありがとうございます。
本日管理者に謝罪し、今現在私の処遇について管理者の上に確認中とのことです。
善の呵責に苛まれ、謝罪せずにバレないことを祈る時よりも心待ちは軽やかになりました。
どのような処遇になるのかとても不安でありますが、悪いことを想像するよりも目の前の仕事に集中する様に努力します。
また今度このことについて追記する予定です。
今回は本当にありがとうございました。