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除夜の鐘に苦情がくる現代。ゼロか100ではない対応を
苦情をあげている方はおそらくそのお寺さんに対する個人的な嫌悪感が強いだけであると思います。そもそも先住民であったのはお寺でしょう。
後から、住みついた方々が、自分達の権利ばかり主張して、土着のネイティブ民族、ずっと長く愛されてきた歴史のあるものを個人的な私情でもって排除しようとする姿勢が、宗教云々の前に人間としてあまりにも不寛容というべきものです。そういう認知をしてもらう事の方が先だと思います。
そもそも除夜は日本の国民行事としてもお盆や除夜というのは我々の先祖が継承してきた公共的な文化でもあるわけです。
自分を中心としたものの捉え方や、排他的な精神、敵対心などをこそ滅するのが除夜の鐘です。夜を除く、夜とは、ヤミ、病み、闇、止み。心のネガティブな働き全てです。
伝統行事を無くす程の行き過ぎた気遣い・自粛はやり過ぎであると感じます。
中止する側も妥協のラインを他の方々も納得がいくような形で対応していくべきであると感じます。
後から、住みついた方々が、自分達の権利ばかり主張して、土着のネイティブ民族、ずっと長く愛されてきた歴史のあるものを個人的な私情でもって排除しようとする姿勢が、宗教云々の前に人間としてあまりにも不寛容というべきものです。そういう認知をしてもらう事の方が先だと思います。
そもそも除夜は日本の国民行事としてもお盆や除夜というのは我々の先祖が継承してきた公共的な文化でもあるわけです。
自分を中心としたものの捉え方や、排他的な精神、敵対心などをこそ滅するのが除夜の鐘です。夜を除く、夜とは、ヤミ、病み、闇、止み。心のネガティブな働き全てです。
伝統行事を無くす程の行き過ぎた気遣い・自粛はやり過ぎであると感じます。
中止する側も妥協のラインを他の方々も納得がいくような形で対応していくべきであると感じます。
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有り難し
「除夜の鐘」に苦情 マジか‼
年末年始の風物詩とも言える「除夜の鐘」の騒音苦情の対応に中止されるお寺が増えている事について
苦情を申し出る理由はそれぞれであろうかと思います。
「明日は仕事だから寝れない」
「赤ん坊が寝起きで泣く」
「宗教上の理由で鐘の音を聞くのが嫌だ」
などなど‥‥
ただ個人的な思いですが、年に1度厳かに新年を迎える行事を楽しみにしている方が大多数かと思います。年に1度だけでも苦情の方は少しあいだ忍んで頂けないものなのかな~‥と思います。
正直、除夜の鐘までにクレームが出る世の中に「どうした日本」って感じで衝撃と悲しい感じです。
苦情を受けたお寺さんにもご苦労をお察し申し上げる次第です。
そこでお坊様方々に二つお尋ねします。
一つ、もしこの様な苦情を受けた場合にどの様な対応をされますか?
二つ、楽しみしている多数派より少数派(マイノリティー)を優先しなければならない現状をどう考えますか?
お答え頂ければ幸いです
<(_ _)>
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