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声を聞くのも嫌でたまりません

回答数回答 2
有り難し有り難し 35

お隣さん(年配の方)が、私の実家や我が家のことであることないことを言いふらしていることを、ご近所さんから聞きました。

教えてくださったご近所さんも、「あの人は腹黒いと言うか、怖い人やから気を付けて付き合ったほうがいいよ。私も仲良くしていうように見えるかもしれないけど、本音の付き合いはしてないから。」と言っていました。

お隣さんは、普段は愛想が悪いわけでもなく、表向きは上手に話をされる方なので、私たちの前では口がうまく、当たり障りのないように上手に話をされます。でも、実際は、良く言っていたことも、陰では悪口となって言われていたと知り、大きな悲しみと怒りで人間不信になりました。

どこの世界にも、どの年代にも、噂好きで人のことを面白おかしくいう人はいると思います。

そんな人たちのことを気にして悩んで、暗い気持ちで毎日過ごすことは人生もったいないと本当に思います。

そういうマイナスの気を振り撒く人とは関わらず、自分が信じられる人たちと楽しく暮らしていくことが賢明なのはよくわかっているのですが、なんせお隣なので、目に入ってきますし、その方の声を聞くだけでも嫌な気分になります。

必要以上に関わらないように、でも、挨拶など最低限のことは今まで同様きちんとしていくつもりですが、先日、我が家の子どもとお隣のお孫さんが同級生になることがわかり、ショックで気分が本当に滅入ってしまい、マイナスの感情で心がいっぱいです。

悪口を言いふらすお隣さんを、気にせず、楽しく自分らしく暮らしていくにはどのように考えればよいのでしょうか?

また、あまりにショックが大きかったのか、人の家のことをあれこれ言いふらすお隣さんに対する怒りがおさまらず、声を聞くのも嫌でなりません。

このマイナスの負のスパイラルからどうしたら抜け出せるのでしょうか?

乱筆乱文で失礼します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愚者と賢者

まず、理想論を書きます。

嫌々と思ってもお隣さん同士。お付き合いをしないわけにもいきません。ならば避けるのではなくあえてどんどん関わり仲良くなりましょう。そのためにはその方を好きになること、そしてその方にも好きになっていただくこと。そうすると仲が良いもの同士で信頼のもとなんでも言い合えます。

あなた「あら、お隣さんあなたまた悪口いってたらしいじゃないの?やめてくださる?おほほほほ」
隣人「おや、そうかい?そんなつもりはなかったんだけど、ついついあんたのことが気になって話に出しちゃうんだよね」
あなた「まあ、〇〇さんたら私のことが大好きなのね!笑 どうせ言うなら良い噂にしてちょうだいよ!笑」
隣人「そりゃそうだ、気をつけるよ!あんたも上手い事いうね!わっはっは」
あなた「おっほっほ」

なんてハートウォーミングなお付き合い!

はい、そうはいきませんよね。私たちには分別があります。善い悪い、好き嫌いで何物も分けてしまいます。であるからして怨憎会苦は避けられない。どう生きたって嫌いな人には出会うものです。それが今回のように隣人ときた日には避けたくても避けられません。

それでもお釈迦様はこうおっしゃります。

「諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、これがこよなき幸せである。」スッタニパータ259(中村元訳)

愚か者と親しく付き合うとその影響を受けて自分まで愚か者になってしまう。であるから愚者に親しむなというわけですね。

では愚者とは何か?何が愚で何か賢か?決めているのは誰か?

親鸞聖人はこうおっしゃります。

「賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。愚禿が心は内は愚にして外は賢なり。」愚禿鈔

私たちは私が正しいと思ってふるまい自分の考えを主張しますが、そういうあり方は愚者なのかもしれません。反対に私は愚かだ、私にも何か落ち度があったかもしれない、私が相手のことをわかっていないだけかもしれないと考えるのが賢者なのかもしれません。

最後にもう一つ

「もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。」ダンマパタ(中村元訳)

世界の人々が皆自らの愚に目覚めることができれば、みなが相手を思いやり支え合い、戦争もなくなるし、隣人も愛することができるのかもしれませんね。

しかしうまくはいかないものですねえ。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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そのような人もあまたいます

拝読させて頂きました。なるほど・・重なるときにはそのように縁が重なっていくのですよね。あまり気にせずという方が難しいですよね。。お気持ちお察し申し上げます。
仏教の怨憎会苦をそのままに生きておられるように感じました。嫌いな人とは会わなければなりませんね。人生は難しいですよね。相手の事を好きになろうとしても難しいでしょうね。
であるならば、やはり自分の中では嫌いなら嫌いと割り切ってしまうこといいのではないでしょうか。
無理に感情をあわせても後後おかしくなってしまいます。
ですから自分には合わない人として認めてしまっていいのではないでしょうか。
ただ日常生活では顔を合わせてお互い生きていかなければなりませんから生活で必要部分でメリハリをつけて頂くことかと思います。
もしかしたら・・万が一ですが何かのタイミングでその方をあなたは認めるようなこともあるかもしれません。そして好きになる場合もあるかもしれません。その時はその時です。
どうぞ心に貯めずに割り切り明るくご生活頂きます様にお願い致します。

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有り難し
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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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