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気になる人に恋人がいる

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気になる人には彼女がいます。しかし、その人は私のことも好きらしくて、彼女がいることを隠そうとしています。

その人のことはなんとも思っていなかったのですが、分かりやすい人なので態度で丸わかりで、意識されていると思うとこちらも意識するようになってしまいました。

その人は素直でいい人だと思います…でも、彼女をいることを隠しているのが引っかかります。

このまま惹かれていってしまうのは辛いです。私は他の人を好きになった方がいい気がします。あまりにストレートに好意を示されるので、ドキドキしてしまいます。
遊びでちょっかいをかけているのか…と言えば、そういう態度ではなく、ほんとに必死、という感じで…一年前くらいからそうなんですが、私が他の男性といるとすごく悲しむし、なんだか母性本能がくすぐられるといいますか…。ですが彼女がいるのにしていることが不誠実すぎるし、そういう態度を喜んでしまっている自分も弱くて、都合の良い人間だと思います。

このままだと好きになってしまいます。どうしたらいいでしょう。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愛しているという言葉が嘘かどうかは実際の行動を見ればわかる。

私の知人女子はクラスのみんなが憧れるモテモテ男子から、告白されました。
みんなにチョッカイ出していたそうです。
彼女は自分を必要としてくれることが嬉しかったらしく「お前が一番好きだ」と言われ、嬉しくて信じてしまったそうです。
結果「遊ばれ」たそうです。はじめての相手が遊び人。みんなに言いふらされ大変傷ついたそうです。
人間には愛されたい欲求があります。
その心理を利用して女性を汚す男は沢山います。
人の血が通っていない自分ラブなナルシスト、自己愛男の❝なぐさみもの❞にならない生き方こそ女性が女性の尊厳を保つことです。
あなたは褒め言葉や必要とされる言葉に弱いだけだと思います。嘘ですよ、それ。彼女いるじゃないですか。
しかもアナタ、ぶっちゃけ口説かれつつあります。オマケに口説かれている事に喜び♨を得ています。ナンパ野郎にヒョイヒョイついていってしまうお安い女性と変わらんのではないですか?
言葉には裏があるものです。
彼らが言う「愛してる」「好きだ」という言葉を訳すと「オレの欲ボーを満たしてくれ」という言葉になります。現に他に彼女がいながら同時進行で声をかけてくるという事は、確実にあなたともオイシイ関係を持とうとしているだけでしょう。チョロイと思われてますよ?言葉で愛されるより相手の行動で愛されているかを見抜きましょう。その為に相手の実際の彼女といる所を見てみることです。きっとイチャイチャしてますよ。そこで熱を冷ますことです。
詐欺師に騙されたくて騙される人はいません。
本当の詐欺師は相手に詐欺だと思わせません。
国の増税を詐欺だと思わないでしょう。真の詐欺とは実に巧妙なのです。
騙されない女性になって下さい。
アソビ人に遊ばれた女性は尊厳を失います。
それまでは言葉たくみにヨイショされ心地が良いのです。
冒頭に申しあげた女性はそれが本当に悔しくて怒りと涙ながらに私に告白してくれました。一生消せない思い出になるのです。これ以上そういう女性は出て欲しくないという願いもあり、あなたにお伝えしました。
相手が結婚していると考えてみてください。その行為は不倫です。もうすでに始まっているのですよ、人間性というものは。
既に「他の女」であるあなたに声をかけてくるということは、当然あなた以外の「他の女」にも手を出します。
うまい言葉で騙されない様、ご用心を。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

言動ではなく行動で判断を

こんにちは。拝見いたしました。

ずばり!もうあなたは彼の事が好きなのです。後はその気持ちの「落としどころ」なのではないでしょうか。好きになったこと自体が自分で起こした気持ちではないのですから、嫌いになることもコントロールは出来ないでしょう。人間は感情や思いに支配された生き物だからでしょう。彼の事を好きな自分の心を認めてあげましょう。好きになったんだねと自分の心に話しかけてあげるだけで(聞いてあげるだけで)少し楽になると思います。

もし彼が彼女と別れていれば何も問題はなくお付き合いをしているのではないでしょうか。彼の方もまた、誰かに好きになってもらえた事が嬉しいのだと思います。それは彼女がいてもいなくても嬉しいものです。ただ、逆の立場も考えておいてくださいね。あなたが彼女であっても彼は別の女性に同じように接するでしょう。そういう彼そのものを受け入れる気持ちは考えておいた方が良いです。でないと今度は逆の立場になってここに相談することになるかもしれませんので。

言動ではなく具体的行動で彼を判断してみてくださいね。

合掌

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有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせていただいております。

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