幸せという気持ちと反対の気持ち
私は今、再婚し優しい主人と子供も一人授かり幸せな時間を過ごしています。
しかし、幸せを感じれば感じるほど自分だけ幸せでいいのか、離婚し離れて暮らしている子供たちはどんな気持ちでいるのか考えたりして 苦しくなります。
離れている子供たちに、何もしてあげれないし心配したり心の中で応援することしかできません。あの子たちは色々きつい思いをしたりしてるのに自分は…
幸せな気持ちと申し訳ない気持ちとごちゃごちゃになり、これでいいのか 自分は幸せになってはいけないのではないかなど考えてしまいます 苦しくなります
私はいまの私でいいんでしょうか…
分かりにくい質問ですみません。何かお言葉を頂けたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたはあなたの手の届く範囲内を生きる
早い話がNHK観ながら日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日を同時に観れないでしょう。
日曜日に笑点と大相撲とちびまる子ちゃんを同時に観ようと思ったら録画するしかないのです。
自分の命の@アドレスがあるところが自分の@息をしておる所です。
そこ以外に私たちは分身の術でも使わん限りゆくことは出来ないのです。
分身の術を使いたければ、部下を雇うか、自分の行いを分身にしてください。私のここでの活動は孫悟空の分身の術のようなものです。西遊記で孫悟空が毛を吹けば自分の分身ができるという話が象徴しているのは、自分の行いが自分の分身であるという意味合いでもあります。
あなたができる分身の術は何か。それを考え、マスターしてください。届くべきものがお子さんたちに届くでしょう。
本心には忠実でいることが大切です。
恋を選ぶか子を選ぶか。子を選ぶといっても、子供たちはあなたではありません。
子供たちは子供たちの人生。
ですが、母親を必要とする時期もありましょうから、できる限りのことをしてあげる他ありません。
つき合いというものは、あなたと子供Aさん,あなたと子供Bさん、あなたと子供Cさん、あなたと子供Dさん、あなたと旦那さん。それぞれ、それぞれ皆、分離・独立しています。
独立しているんですから、それぞれの関わりを独自になさるべきです。
あなたが幸せで仕方ないなら、その余裕から、幸せのおすそ分けをどれだけできるかどうか。
布施というのは不幸でもできる活動です。
私も今、お盆で大忙しですが、こうして法布施活動はできている訳ですから、あなたにも世間の人にもできないという事はありません。できる事をできる範囲でよいのです。やらない内から嘆くより、与えれば実感が沸きます。お子さんたちに悪いなぁと感じるのはそろそろ与えるべき時期だというサインです。私はできるのにやらないのであればそれは私がケチなだけ。ケチのことを吝嗇といいます。もの惜しみ、人にくれてやれないケチな心です。ちょうどこのお盆は「施食」といってみんなでお布施をしあう時期です。できる限りの愛情、お小遣い、しあわせ、知識、配慮、智恵、おしえ、可能性、機会、時間などを布施してあげてください。
質問者からのお礼
お忙しい中、回答して頂きありがとうございました。
おっしゃる通りですね。
それぞれの関わりのなかで自分にできることを続けていきます。
ありがとうございました。