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老いるまで添い遂げるか離婚するか決断できません

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有り難し有り難し 23

結婚当初より夫の言動に悩んでいます。

2人めを妊娠中切迫流産で安静にしていなければいけない私に夫はsexを求めてきましたが、

医師からsex禁止と言われていましたので
断ると
怖い顔でパンツを引っ張り無理やりしてこようとしました。

夫は
「浮気されてもしょうがないな!」
と言ってました。

母として、情けないとおもいながらも時々張るお腹を我慢して応じる事もありました。

そんな生活で精神状態が限界になり私はパートにも行けなくなり、

その頃母が住んでいた今の県に引越ししました。

夫は暇さえあればパチンコに行き100万ほど借金も返済してあげました。

そんな中でも、仕事だけは真面目に行き、
生活を良くしたいと、たまにバイトにも行ってくれました。

私はバイトより、家族と過ごして欲しかったのですが夫なりの家族への愛情だったんだと思います。

10年前にマイホームを建ててやっと
心から幸せになれると思っていたのに

3年後1度目の不倫、

それから7年後の一昨年2度目不倫発覚。

夫はすぐに別れてくれたのですが、最近また様子がおかしいのです。

不倫はしていないと思うのですが、

「生きてる意味がわからない。」

「何をしていても楽しくない。」

「死にたいと思う時がある。」

「離婚も考えている。」

と言います。

夫婦仲良く過ごそうと頑張っていた矢先だったので何故今?と言う思いです。

話し合いをしても「もう止めよ!」
と言ってまともに話し合いする事が出来ません。

フラッシュバックでたまに夫に当たったりする事も嫌だと言います。

過去の事をいつまでも言うのは駄目だと
頭ではわかっているのですが、
どうしても辛くなったとき押さえられなくなります。

これまで21年間の結婚生活や、
今の夫の様子を見ているとこのまま結婚生活を続けても同じ事の繰り返しだと思う反面、

夫婦仲良く過ごして行けたらいいな。と思う自分もいます。

離婚して1人で稼いでやっていけるか?

孤独感でまた鬱になってしまうんじゃないか?

結婚生活を続けていく事にも離婚する事にも不安です。

こんな自分が本当に情けないです。

どうか、うじうじしている私にアドバイスをお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

相手にしているのがお互い相手の影なのです 

まず、グジグジいうのは今日限りにすることです。
過ぎた事をあれこれ責めても仕方ないです。
相手に求めるべきは「お詫び」ではなく「愛情」「自分に目を向けてもらえること」「自分を将来的に守ってもらう事」を求めるべきであって、責めることを目的としてはいけません。
相手が不倫した浮気した許せんムカつく絶対許さんっ👹って言って相手にしているのは、おそらく本人ではなく、本人に対する「たった今のあなたの中の思い👤」の方です。
それは相手も同じ。
仮面夫婦や冷めた夫婦関係は当の本人のいないとことで当の本人ではない存在を相手にしています。
自分のイメージ上で作りだされた妄想の影ばかり相手にして怒っているから、本人が目の前に居ながらも相手にしてもらえず、コミュニケーションにもならずお互い永遠の不機嫌地獄が続くのです。
旦那さんもそれが苦しいのではないでしょうか。
罪人の罪はどこで赦されるべきでしょうか。
一般の人でさえも裁判が終わればそこで判定は終了。
その人の罪を責め続けるのは誰のいつのどこら辺のどのあたりで、その罪をとやかく責めるのは誰の口から発する言葉によるもので誰の表情が暗くなるのでしょうか。
あなたが苦しい、苦しかった、悲しかった、それは事実でしょう。
ですが、その被害者意識を武器にして永遠にご主人を切り刻んで良いのでしょうか。
あなたがかつて犯した罪を永遠に毎日責め続けられたら、そりゃもういい加減にしてくれと感じるはずです。この故に仏教では「不説過戒」と言いまして、他者の罪を責めたてるべきではないと説くのです。
人を責めない。
ご主人も責めない。
自分も責めないことで、あなたの心の中で❝責める❞というネガティブエネルギーが消えて心が軽やかになります。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

グチグチ言わない…

その通りだと思います。

頭では分かっているつもりなのに、
2度目の不倫は中々私の中で過去の出来事と思えなくて辛いです。

最近、主人だけではなく、誰の事も信用出来ない自分にも疲れました。

人を疑うって本当に疲れます。

これから、気分を入れ替えて前向きに生きたいと思います。

ありがとうございました。

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