恐怖と後悔の念から抜け出せないのです
先日家族で海水浴場に行きました。
波打ち際でビーチボールで遊んでいる時、そのビーチボールが突然波に乗って沖へじわじわ流れ始めました。
スイミングをしている息子がビーチボールを追いかけて泳ぎ始めました。
始めはそれを見守っていたのですが、だんだん不安になってきて、20mくらい進んだ辺りで、なんというか、息子が遠くに行ってしまうような感覚になり、大きな不安と恐怖に襲われました。
「もういいから引き返して!」と大声で叫ぶと、息子は振り返ってこちらに引き返してきました。
息子は50mを1日に何本も泳ぐくらいの泳力はあるけれど、海は波もあるし、プールと同じようにはいかない…
もし息子の足がつったりして溺れてしまっていたら…
私は全く泳げないので、どうなっていたのか…
もっと手前で引き返すように促せばよかった…
もしかしたら、とんでもない事になっていたかもしれない…
それがずっと頭から離れず、なんとも言えない恐怖と後悔の念にとらわれています。
息子には、海の怖さと、身の危険を伴う場合は深追いをしないこと、時には諦めも大事等々、伝えました。
今回おおごとにならなかったのは幸いで、今後このようなことのないように、教訓としてしっかり心に刻もう!と前向きに考える努力をしてはいるのですが、日々、恐怖と後悔の気持ちで胸が張り裂けそうになります。
今の状態から抜け出したいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
行動は正しかったのです。
その時の、状況を思い出されるたびに、恐怖が蘇られるのでしょう。
なかなか恐怖感を味わうと、忘れることはできません。
それだけ、ショックが大きいと心に深く刻まれてしまいます。
無理に忘れようとしても、なかなか忘れられないと思います。
さて、ここで言えることは、途中で引き返すように判断され、その指示に従って息子さんは、戻ってきました。その事実は、事実として正確な判断であったと認識してください。
その正確な判断を忘れてしまって、今、起きててもいない架空の想像の状況で悩んでいませんか。
それは、「取り越し苦労」と言ってもいいでしょう。起きてもいないのに、あたかも起きたような状況になることで、悩み不安を抱えている場合も多々あります。
「もっと手前で言えば良かった」次回同じような状況に遭遇した時、そうすればいいのではないでしょうか。
今回の出来事で多くのことを学ばれたのですから、学びの一つと考えてみてはいかがですか。
学びであれば、恐怖や不安は変化します。
後悔することもありません。息子さんにも色々とお話をされたと思います。
そして、海を怖がらず、海は私たちを豊かにしてくれるものでもあります。
しっかりと危険を察知できるように
拝読させて頂きました。大変怖い思いをなさって心から離れないのですね。そのお気持ちお察し申し上げます。
確かに今の季節はその様な危険がつきものです。日々ニュースを見てもその様な事故が報道されています。
やはりお子様にしっかりとその様な危険を教えてそしてお子様自身でその危険を察知して逃げられる様に心がけて頂くことですね。
親はいつまでも子供に注意を促すことはできません。
その様な危険を自分で察知して安全に回避する力を身に着けて頂く事です。
どうぞ日ごろの教育にてそのことをしっかりとお伝えなさってくださいね。
お子様がこれからも安全にご成長なさって頂きます様にと仏様やご先祖様にお祈りさせて頂きますね。
質問者からのお礼
kousyo Kuuyo Azuma様
ご回答ありがとうございます。
「親はいつまでも子供に注意を促すことはできない」ハッとさせられました。
息子のことを守っていきながら、その中で、息子自身が自分で危険回避していけるように、これから沢山のことを伝えていきます。
まだあの時の恐怖は消えないけれど、今回のことで、とても大切なことが学べたように思います。
ありがたいお言葉、ありがとうございました。
鈴木海祥様
ご回答ありがとうございます。
「あの判断は事実として正確な判断だった」このお言葉に救われました。
その事実を見つめず、起きてもいない想像の世界でもがいておりました。
まだあの時の恐怖は鮮明に残っていますが、少しずつ気持ちを切り替えられる気がします。
ありがたいお言葉、ありがとうございました。