自分の事を責めてしまいます
自分の事を責めてしまう傾向にあり悩んでいます。たとえば、会社に何日も休みなく働き残業が続いている人がいれば、
職務上、仕事内容に違いがあり、それぞれの勤務形態に差異が生じるのは仕方ない事なのですが、休日出勤する事もなく、毎日定時で帰れる自分が楽をしている気分になり申し訳なく思います。
年老いた両親が働いている状況も、自分が少ない給料で援助できないせいだと思ってしまいます。
これら以外にも、何かで大変な思いをしている人を見ると、自分が苦しむべきなのに苦しんでいない、自分は楽をしてしまっているという考えになり辛いです。
自分では、できる限りのことはしているつもりではありますが、それ以上手助けできないことをとても心苦しく思います。
どうすれば、仕方ないことは仕方ないと割り切り、自分と関連付け責めてしまう傾向をとめるとこができますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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気楽にできることをやるだけ
かつらさん
私も勤めに出ていますので、他の人と同じようには働いていません。葬儀屋お通夜があればそこに行きますし、休むことも出てきます。しかし、それはそれ。人と比較してもしかたがないこと。小さいお子さんがいれば、早く帰るでしょうし、できる範囲の事しかできませんから、人と比較して、長く働いている人に悪いと感じる必要もありません。それぞれの立場で仕事を全うしているに過ぎないのです。
上司であっても偉いわけではないですよね。それぞれの立場でその役を遂行しているだけです。
物事を見るときは、「こうするべきだ」「こうしたほうがいいはず」とかそうした視点で物事を見ないことです。もっとシンプルにただ見るだけ。もし手伝いたいけど時間的出来無い時には、「ごめんねお手伝いしたいけど、お先に帰らせてもらいますね」といえばいいだけ。
ご両親に楽をさせてあげたいと思っていても、今の時代なかなかそんなに稼いでいる人はいません。老後はそれぞれ自分でどうにかしなければならない時代です。あなたが養うなんてことまで考えなくても、いいじゃないですか。たまにいつもご苦労様と、食事に招待したり、ちょっとしたプレゼントをしたりすればそれでいいのですよ。
何でもあなた次第で変わるわけでもありません。あなたはあなたのできることをただ全うしてください。それでいいのです。欲張らないことですよ。気楽に行きましょう。
質問者からのお礼
ご回答いただき、ありがとうございます。
シンプルに物事をただ見るだけ、というのは、何事も考え過ぎてしまう自分にはできていないことだと思います。
自分が何かできるはずだという、思い上がりもどこかにあるのかもしれません。
自分にできることをできる範囲で精一杯できるように心がけたいです。